ERYKAH BADU

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Erykah Badu(エリカ・バドゥ)

本名:Erica Abi Wright

生年月日:1971年2月26日(43歳)

 

エリカ・バドゥ(Erykah Badu)は、アメリカのシンガーソングライター、レコードプロデューサー、活動家、女優。本名はエリカ・アビ・ライト(Erykah Abi Wright )。1994年に地元でディアンジェロ(D’Angelo)の前座を務めていたところ、ケダー・マッセンバーグ(Kedar Massenburg)の目に留まり、アーティストとしてのキャリアを始めることとなった。ケダーはバドゥのパフォーマンスに深く感動し、自身のレーベル「ケダー・エンターテインメント」に迎え入れた。1997年2月11日、自身初のアルバム『Baduizm』をリリースした。アルバムは、人気シングルを3曲生み出し、(「On & On」「Next Lifetime」「Otherside of the Game」)、アメリカレコード協会(Recording Industry Association of America : RIAA)からトリプル・プラチナディスク認定を受けた。

1997年11月18日、1stライブアルバム(全体としては2つ目のアルバム)の『Live』をリリースした。アルバムには新曲「Apple Tree」「Tyrone」が収録された。また、RIAAからダブル・プラチナディスク認定を受けた。2000年10月31日、3rdアルバム『Mama’s Gun』をリリースした。3曲の新曲「Bag Lady」「Didn’t Cha Know?」「Cleva」が収録されているこのアルバムは、RIAAからプラチナディスク認定を受けた。2003年9月16日、4thアルバム『Worldwide Underground』をリリースした。新曲「Danger」「Back in the Day (Puff)」が収録されている。RIAAからはゴールドディスク認定を受けた。2008年2月26日、5thアルバム『New Amerykah Part One (4th World War)』をリリースした。新曲「Honey」「Soldier」が収録されている。2010年には『New Amerykah Part Two (Return of the Ankh)』をリリースし、高い評価を受け、商業的成功も収めた。

バドゥの音楽は、R&B、ヒップホップ、ジャズの要素を取り入れている。ネオ・ソウルの火付け役としてよく知られ、「ファーストレディ・オブ・ネオ・ソウル」や「クイーン・オブ・ネオ・ソウル」と称されている。活動を始めたばかりの頃は、カラフルで非常に大きいヘッドスカーフがトレードマークだった。自身の音楽センスに関して、ジャズ・ヴォーカルの巨匠界ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)とよく比較される。Soulquariansの中心メンバーとしても活躍した。女優としては映画『Blues Brothers 2000』『The Cider House Rules』『House of D』などで様々な役を演じた。また、『Before the Music Dies』や『The Black Power Mixtapes』といったドキュメンタリー映画にも出演した。

 

Early life
エリカ・アビ・ライトは、1971年2月26日、テキサス州ダラスに生まれた。まだエリカも兄弟も幼い頃、父・ウィリアム・ライト・ジュニア(William Wright Jr)が家を出て行ったため、母親はエリカと弟のアーヴィン(Eevin)、妹のネイロック(Nayrok)を女手一つで育てた。母・コリーン・マリア・ライト(Kolleen Maria Wright、旧姓・ギプソン)が劇場で女優業をこなす間は、祖母が子供たちの世話をした。母親の影響で、4歳にして初めてショービジネスを経験し、ダラスシアターセンターにて母親とともに歌とダンスを披露した。

14歳のとき、地元のラジオ局でロイ・ハーグローブ(Roy Hargrove)と共演し、フリースタイルを披露した。十代の頃、自分の名前を「奴隷の名」と考えたエリカは、名前のスペルを「Erica」から「Erykah」に改名した。「kah」というのは、「内なる自分」を意味する。名字の「Badu」は、ジャズの歌唱法「スキャット」からきており、好きな音を採用したという。また、「Badu」はガーナのアカン族の言葉で「10番目に生まれた子供」を意味する。

ブッカー・T・ワシントン高校のパフォーミング・ビジュアルアーツを卒業後、歴史的黒人カレッジであるグランブリング州立大学に進み、演劇を勉強した。1993年、音楽に専念するため卒業を目前に大学を辞め、低賃金の仕事をいくつか掛け持ちながら生活を送った。サウス・ダラス文化センターで子供に芝居やダンスを教えた。

いとこのロバート・フリー・ブラッドフォード(Robert “Free” Bradford)と共に活動し、ツアーをしていく中で、19曲を収録したデモテープ『Country Cousins』をレコーディングした。このデモテープにバドゥの才能を見出したケダーは、ディアンジェロとバドゥのデュエット曲「Your Precious Love」を収録した。最終的にバドゥはユニバーサル・レコードとの契約を果たした。

 

Career

Baduizm (1997-1999)
1997年初旬、デビューアルバム『Baduizm』をリリースした。アルバムは称賛を受け、商業的成功を収めた。ビルボードチャートで初登場2位を記録し、全米ビルボート・トップR&B/Hip Hopアルバムで1位を獲得した。『Baduizm』により商業的成功を収め、高い評価を得たバドゥは、ネオ・ソウル・ジャンルの先頭に立つアーティストの一人として、その存在を確立した。バドゥの特別な歌唱スタイルは、ビリー・ホリデイとよく比較された。『Baduizm』は、RIAAからトリプル・プラチナディスクに認定され、英国レコード産業協会とカナダレコード産業協会からはゴールドディスクに認定された。

同アルバムには新曲が4曲収録されており、1996年1月には先行シングル「On & On」をリリースした。「On & On」は、ニュージーランドのチャートに登場しただけでなく、全米ビルボードホット100と英国シングルチャートで12位を記録した。アルバムと先行シングルにより、自身初となるグラミー賞でノミネートと受賞を経験した。「On & On」で最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞を受賞し、アルバムで最優秀R&Bアルバム賞を受賞した。

長男セブン(Seven)を妊娠している間に1stライブアルバム『Live』を収録し、セブンが生まれた日に合わせて発売した(1997年11月18日)。アルバムは全米ビルボード200で4位、全米ビルボード・トップR&B/Hip Hopアルバムで1位を獲得した。出荷枚数が200万枚以上だったことから、RIAAよりダブル・プラチナディスク認定を受けた。1997年10月にリリースされた先行シングル「Tyrone」は、 新たなR&Bヒット曲となった。同曲の中でバドゥは、自己中でケチな気のきかないボーイフレンドをたしなめている。また、1999年にはザ・ルーツ(The Roots、『Baduizm』に収録されている数曲をプロデュースした)のアルバム『Things Fall Apart』でコラボレーションも果たした。同アルバムの「You Got Me」でアメリカの女性ラッパー、イヴ(Eve)とともにフィーチャーされた。歌詞制作にはジル・スコット(Jill Scott)も携わった。同曲は全米で39位、イギリスでは31位を記録し、1999年度のグラミー賞では最優秀ラップ・パフォーマンス・デュオ/グループを受賞した。

 

Mama’s Gun and Worldwide Underground (2000-2006)
一定の育児休業後、2000年に復帰し、『Mama’s Gun』をリリースした。同アルバムは、1stアルバムよりもオーガニックな雰囲気となっているのが特徴である。プロデュースの大部分をSoulquariansとベーシストのピノ・パラディーノ(Pino Palladino)が手掛けた。収録曲のひとつである「Bag Lady」は、ファースト・シングルとして話題を呼び、R&B チャートで7週連続首位を獲得した。叙情的な内容の歌詞が多くの出版社から注目され、好評価を受けた。アルバムに関するレビューでは、 初期リリースの時点で完全に解釈するのが難しい歌詞がいくつかあるという声があった。最初の2つのアルバムほど高い順位を獲得できなかったものの、『Mama’s Gun 』は売上数100万枚という成功を収め、グラミー賞では「Bag Lady」がノミネートされた。2000年、バドゥはSoulquarian のメンバーであるコモン(Common)と交際をしていた。ふたりは映画『Brown Sugar』のコラボレーション作品として、サウンドトラック「Love of My Life (An Ode to Hip-Hop)」をリリースした。同曲は、ポップチャートでは9位を、R&B チャートでは首位を記録し、2003年には自身4度目となるグラミー賞受賞を果たした。2001年2月10日、オハイオ州クリーブランドのアレン・シアターを皮切りに「Mama’s Gun ワールドツアー」を開催。ワシントンD.C.とシカゴで2日にわたってパフォーマンスをした。夏にはヨーロッパとアメリカで追加公演を行った。『Mama’s Gun 』と「Love of My Life」をリリース後、バドゥはライターズ・ブロック(アイデアが思い浮かばず、何も書けなくなる状態)に悩まされた。

2003年9月16日、3rdアルバム『Worldwide Underground』をリリースした。 このアルバムは以前の作品よりもジャム志向となっており、バドゥはアルバムを「ずっと最高に楽しめるように」制作したという。同アルバムをリリース後、ルーズな雰囲気で型にはまっていない構成や歌詞についていくつか批判があったが、音楽評論家からは全体的に好評価を得た。アルバムは順調に売上枚数を伸ばし、初週で143,561枚を売り上げ、2003年10月4日の週には全米ビルボード200で初登場3位を獲得した 。その後同チャートに通算11週ランクインした。また、ビルボード・トップR&B/Hip Hopアルバムでは初登場2位を獲得し、通算30週ランクインした。2003年12月の時点で、国内総売上枚数は394,000枚に及んだ。2003年10月28日には、RIAAよりゴールドディスク認定(全米で50万枚売り上げたディスクに贈呈される)を受けた。ニールセン・サウンドスキャン社によれば、アルバムは全米で609,000枚を売り上げたとのこと。アルバムのファースト・シングルである「Love of My Life (An Ode to Hip Hop)」は、ビルボードホット100で最高9位を記録し、ホットR&B/Hip Hopソングチャートでは1位を獲得した。セカンド・シングル「Danger」は、ホット100で82位、ホットR&B/Hip Hopソングチャートで最高62位を記録した。バドゥは同アルバムでグラミー賞を4部門以上にノミネートされた。また、ザップ・ママ(Zap Mama)のアルバム『Ancestry in Progress』(2004)の収録曲「Bandy Bandy」でフィーチャリングされた。

2004年、「Worldwide Undergroundツアー」を開催。アメリカでの公演は、2月3日にニューオーリンズから始まり、冬から春にかけて行われた。2月5日のヒューストン公演にはイギリスのデュオ、フロエトリー(Floetry)が主演した。2月11日のロサンゼルス公演ではザ・ルーツがオープニングでスペシャルパフォーマンスを行った。その年の秋には、アメリカとヨーロッパで追加公演を行った。2005年、年に一度開催される「第4回インディペンデント・ミュージック・アワード」で審査員を務め、インディーズアーティストのキャリアを支援した。クイーン・ラティファ(Queen Latifah)、ジル・スコット(Jill Scott)とともに、ミュジックフェスティバル「シュガー・ウォーター・フェスティバル」を開催した。フェスティバルは2005年夏から2006年の間、アメリカの円形競技場やアリーナで行われた。2005年の初開催では、アフリカ系アメリカ人女性に対して健康への意識向上を呼びかけた 。2005年中の公演ではフロエトリーがパフォーマンスをした。2006年に再び短期公演を行い、コメディアンのモニーク(Mo’Nique)が司会を、ケリス(Kelis)がオープニングショーを務めた。当初、ヨーロッパやアジアまでフェスティバルを拡大する予定だったが実現ならず、2006年が最後の開催となった。2006年、「サマー・ツアー」を開催。6月10日にアメリカのテネシー州ノックスビルにてツアーを開始し、3公演行い、7月にはヨーロッパで公演を数回行った。8月には、「シュガー・ウォーター・フェスティバル」にてジル・スコット、クイーン・ラティファと共にステージに出た。

 

New Amerykah Part One (2007-2009)
クリスマスプレゼントでコンピューターをもらったバドゥは、ザ・ルーツのクエストラブ(Questlove)をはじめ、Qティップ(Q-Tip)やJ・ディラ(J Dilla)などと交流をし、楽曲提供をしてもらい始めた。 その後、自分のノートパソコンをミニレコーディングスタジオとして使用し、楽曲のための様々なバックトラックを制作した。2007年11月、ナインス・ワンダー(9th Wonder)プロデュースのニューシングル「Honey」がインターネットにリークされた。2008年、自身の37歳の誕生日である2月26日に、ユニバーサル・モータウン・レコードから4thアルバム『New Amerykah Part One (4th World War)』をリリースした。アルバムは、ヨーロッパでは2月29日に、オーストラリアとイギリスでは3月3日に、日本では3月12日に発売された。日本とオーストラリアで発売したアルバムにはボーナストラック「Real Thang」が収録された。iTunesストアでのデジタルリリースでは、「Tumbling Dice Remix」をボーナストラックとして配信した。3月11日には『New Amerykah Part One 』を2枚組アナログで発売し、USBメモリでも発売した。

2007年12月11日、アルバムの先行シングル「Honey」をリリースした。同曲は、全米ビルボードホット100で88位を記録し、通算3週ランクインした。また。ホットR&B/Hip Hopソングチャートでも22位を記録し、通算17週ランクインした。『New Amerykah Part One (4th World War)』をリリース後、音楽評論家から幅広い支持を得た。アメリカでは初週125,000枚を売り上げ、ビルボード200チャートで初登場2位を獲得した。これらの記録は、自身にとって1997年の『Baduizm』以来の快挙となった。同アルバムはまた、ビルボード・トップR&B/Hip Hopアルバムでも2位を獲得した。ニールセン・サウンドスキャン社によれば、同アルバムは2010年初旬までに全米で359,000枚を売り上げたとのことである。2008年、ハロウィンの1週間前に開催された「第10回ヴードゥー・エクスピリエンス」に参加した。同アルバムは、イギリスの全英アルバムチャートで55位を記録し、1週間ランクインした。フランスでは、フランス・アルバムチャートで初登場49位を記録し、通算11週ランクイン。スイスでは、スイス・アルバム・トップ100で初登場10位を記録し、通算6週ランクインした。オランダでは、メハカフツのアルバムトップ100に25位を獲得し、通算7週ランクインした。ポーランドの音楽チャートでは、9位を記録し、通算8週ランクインした。中でもスウェーデンでは、5位を獲得し、通算7週ランクインを果たした。

 

2008年〜2009年に、ツアーを2回開催した。2008年、『New Amerykah Part One (4th World War)』の記念ツアー「The Vortexツアー」を開催した。5月4日にミシガン州デトロイトで初公演を行い、6月15日、ニューメキシコ州アルバカーキで締めくくった。6月25日には、デンマークのコペンハーゲンを皮切りに、ヨーロッパ公演を行った。7月中も公演をしながらヨーロッパを横断した。8月にはアメリカで追加公演を行った。2009年、サマー・ミュージック・コンサート「ジャム・ツアー」を行った。3月に同ツアーを開始し、北米公演を2回とヨーロッパ公演をしたのち、10月16日テキサス州ダラスにて最終公演を行った 。アメリカでの2回目のツアー中には、ヒップホップアーティストのモス・デフ(Mos Def)の「エクスタティック・ツアー」に特別ゲストとして参加した。このときバドゥが参加したのは、9月公演の所定日のみである。

 

New Amerykah Part Two and Window Seat controversy (2010-2012)
2010年3月30日、ユバーサル・モータウン・レコードから5thアルバム『New Amerykah Part Two (Return of the Ankh)』をリリースした。日本では4月14日に発売された。リリース後、アルバムは音楽評論家から一般的な評価を得た。初週11万枚を売り上げ、全米ビルボード200チャートで初登場4位を記録した。また、ビルボード・R&B/Hip Hopチャートでは初登場2位を記録した。イギリスでは、全英アルバムチャートで初登場56位を記録し、R&Bアルバムチャートでは9位にランクインした。カナダでは、アルバムトップ100で初登場36位を記録し、R&Bトップ50チャートでは5位を記録した。同アルバムは世界中で着実に売り上げを伸ばし、ノルウェイ、ポーランド、スイス、スウェーデン、デンマークを含むいくつかの国々でトップ50位以内にランクインを果たした。2010年3月中、バドゥは「レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン」「ザ・ウェンディ・ウィリアムズ・ショウ」「チェルシー・レイトリー」「ジミー・キンメル・ライブ!」「グッド・デイ・ニューヨーク」に出演し、アルバムのプロモーションを行った。また、雑誌『EQ 』の4月号の表紙を飾り、雑誌『ナイロン(Nylon)』や『プレイボーイ(Playboy)』の4月号で特集を組まれた。さらに『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』や『エンターテイメント・ウィークリー(Entertainment Weekly)』、『タイム・アウト・ニューヨーク(Time Out New York)』『スピン(Spin)』『バイブ(Vibe)』『ペースト(Paste)』『ピープル(People)』など多くの雑誌にも登場した。3月31日には、ロサンゼルスのエル・レイ・シアターで行われたサプライズ・ミッドナイト・ショーに出演した。

2010年1月、自身の公式ウェブサイトにて、リル・ウェイン(Lil Wayne)とバイラル(Bilal)をフィーチャーした、オンライン限定シングル「Jump up in the Air (Stay There)」をリリースした。バドゥのミュージカルディレクターであるRC・ウィリアムズ(RC Williams)は、同シングルのミュージックビデオをダラスで撮影したと話した。自身のツイッターページにて、『New Amerykah Part Two (Return of the Ankh)』の先行シングル「Window Seat」をダウンロードできるようリンクを掲載した。同曲は、ビルボードR&B/Hip Hopソングチャートで16位を記録した。2010年3月24日、アルバムのセカンド・シングル「Turn Me Away (Get MuNNY)」をオンラインで無料配信した。同曲はR&B/Hip Hopソングチャートで通算3週ランクインし、87位を記録した。2011年2月9日、フライング・ロータスが監督を務めた「Gone Baby, Don’t Be Long」のミュージックビデオがヴィメオから公開された。このミュージックビデオは、バドゥ本人と友人であり音楽仲間でもあるクエストラブによってツイッターで拡散された。

 

2010年3月13日、「Window Seat」のミュージックビデオを撮影した。撮影は、ケネディ大統領が暗殺されたテキサス州ダラスにあるデイリープラザにて行われた。バドゥは自身のツイッターで、撮影について次のように話した。「ゲリラ撮影、スタッフなし、ワンテイク、セットなし、無事2分で終了。ダラスのダウンタウンにて。撮影後は即撤収」 バドゥ達は、ダラス市から承認も許可も得ずに撮影を行った。ビデオの内容は、バドゥがダラスの歩道を歩きながら次第に服を脱いでいき、ケネディ大統領が射殺された場所に着いたあたりで全裸になり、曲の最後で銃声とともに頭を打たれたように地面に倒れ込むというものである。撮影中、バドゥの周りには子供連れの家族がいた。一般人の前で全裸になることについて問われた際、バドゥは「現場に行くまで一般人がいることを考えていなかったわ。心の中で彼らと以心伝心して、私の誠意が伝わるよう努めたけど、それが精一杯だった。あとは彼らが傷つかないようにと願っていたわ」と話した。4月3日、「ワンダ・スカイズ・ショウ」にて、故ケネディ大統領を侮辱するつもりでやった行為ではないと言い、次のように語った。「私が本来伝えたかったことがアメリカ中でひどい誤解を招いているわ。ケネディ大統領は私にとってヒーローのひとりだし、国のヒーローのひとりでもある。ケネディ大統領は革命的な人物よ。アメリカという国と真っ向から向き合うことを恐れなかった。だから私も何も隠さず真実をさらけだしたの」 ビデオのディレクターを務めたCoodieとChikeは、バドゥが逮捕された場合に備えて、撮影中はいつでも保釈金を出せるようにしていたという。バドゥは、ビデオは「集団思考」への批判を示すためのものであり、マット&キム(Matt and Kim)のミュージックビデオ「Lessons Learned」にインスパイアされたものだと話した。また、「何の後悔もない」とも話した。2011年、バドゥはフライング・ロータスの4thアルバム『Until the Quiet Comes』に登場した。2012年には、3月にリリースされたスーパーグループ「ロケット・ジュース・アンド・ザ・ムーン(Rocket Juice and The Moon)」のデビューアルバムや、ロバート・グラスパー(Robert Glasper)のアルバム『Black Radio』に登場した。

 

Sixth studio album (2013)
2013年、タイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator)の2ndアルバム『Wolf』の収録曲「Treehome95」に登場し、ボノボ(Bonobo)のアルバム『The North Borders』の収録曲「Heaven for the Sinner」にも登場した。ジャネール・モネイ(Janelle Monáe)の2ndアルバム『The Electric Lady』の先行シングル「Q.U.E.E.N.」でフィーチャリングされた。同曲は、サウンドクラウドで初配信され、2013年4月23日にはiTunesストアでダウンロード開始となった。同曲は、ビルボードR&B/Hip Hopソングチャートで47位を記録した。

2013年5月、バドゥは次回作を書き下ろしているが正確な発表はまだできないと話した。2014年7月、依然としてアルバム制作は進行中であることや、4月からアフリカでレコーディングをすすめていることを明かした。また、アフリカへ行く前にレコードレーベルとアルバム制作の締め切りについて打ち合わせをしたことも明かした。

 

Other ventures
バドゥは女優業にも挑戦している。女優として初めて出演したのは1998年に上映された『Blues Brothers 2000』であり、クイーン・ムセット役を演じた。映画は、映画評論家からの不評が多く、商業的失敗が懸念された。女優業2作目となる出演は、『The Cider House Rules』(1999)で、ローズ・ローズ役を演じた。同作品は、高い評価を得ると同時に商業的にも成功し、バドゥは数々のアワードで受賞したりノミネートされたりした。2000年度ブラック・リール・アワードでは、最優秀助演女優賞を受賞し、他にも全米映画俳優組合賞とサテライト賞にノミネートされた。2004年、再び映画界に戻ってきたバドゥは、『House of D』でレディ/ベルナデット役を演じた。また、『Before the Music Dies』(2005)や『Dave Chappelle’s Block Party』(2006)にも出演した。その後、インディ映画『Bobby Zero』でモス・デフと共演することが発表された。また、シチュエーション・コメディ『Girlfriends』に特別出演しただけでなく、ミコ・マークス(Miko Marks)の「Mama」やコモンの「The Light」のミュージックビデオにも出演した。

2008年、ファッションデザイナー、トム・フォード(Tom Ford)の香水「ホワイト・パチョリ」のキャンペーンモデルを務めた。友人としてバドゥと付き合いの長いフォードは、バドゥを香水の宣伝に最適な人物と考え、次のように話した。「いつも彼女の本物の美について考えていたよ・・・バドゥは香水のイメージそのものだ」 2013年12月には、ジバンシーの2014年春夏コレクションのキャンペーンモデルに起用されたことが発表された。

バドゥはまた、地元サウス・ダラスで活動家としても活動を続けている。1997年、慈善団体「Beautiful Love Incorporated Non Profit Development (B.L.I.N.D. 501c3)」を設立し、音楽やダンス、演劇やビジュアルアートを通して「社会全体でスラム街の子供や若者を支援する」ことを目標とした。同団体にとって最初の試みは、体制の基盤を構築することだった。バドゥは、サウス・ダラスにあるブラック・フォレスト・シアターを改築し、再び開場した。シアターはコミュニティセンターとして多くの人に利用されており、サウス・ダラスの芸術や文化を楽しむ場となっている。シアター内にあるステージは、ショーやパフォーマンスができるよう整備された。また、プリンス(Prince)、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)、ジル・スコット、ミュージック・ソウルチャイルド(Musiq Soulchild)、デッド・プレズ(Dead Prez)、タリブ・クアリ(Talib Quali)、クエストラブなどのアーティストによって募金集めの無料コンサートが行われた。これらのアーティストは全員、慈善活動を助けるためにボランティアとして協力した。2003年2月、バドゥは B.L.I.N.D.の奉仕活動の一環としてアフリカを訪れ、エイズや貧困で苦しむ子供と触れ合った。また、ダラス市から名誉賞「Key to the City of Dallas」を授かり、コミュニティサービスにおける活動が認められ雑誌『Philanthropy』で紹介された。

 

Musical style
バドゥの音楽のスタイルには、R&Bやヒップホップ、ジャズの要素が含まれている。自身の音楽センスに関して、ジャズ・ヴォーカルの巨匠ビリー・ホリデイとよく比較されている。ソウルミュージックとヒップホップを取り入れているバドゥのスタイルは、ネオ・ソウルの最高の手本である。『Mama’s Gun』はネオ・ソウル・アルバムであり、ファンク、ソウルミュージック、ジャズのスタイルを取り入れている。音楽評論家からは、ネオ・ソウル歌手、ディアンジェロの2ndアルバム『Voodoo』の女性版と評価された。ディアンジェロのアルバムは、同じような音楽スタイルや方向性を採用している。『Worldwide Underground』は、これまでのアルバムと同じ方向性が見られるネオ・ソウル・アルバムである。ヒップホップやファンクの要素を加えており、型破りな音楽構成が特徴である。『New amerykah Part One (4th World War)』は非常に濃い内容の作品となっており、主にファンク、ソウルミュージック、ヒップホップ、他にもジャズやエレクトロニカの要素を取り入れている。前編『New amerykah Part One (4th World War)』をデジタル処理で制作したことと対照に、『New Amerykah Part Two (Return of the Ankh) 』ではサンプリングを利用したり、ライブ演奏を取り入れたりした。

一般的なR&Bとは対照的に、バドゥが書く歌詞には深いメッセージが込められている。バドゥの音楽の大部分に強い影響を与えたものとして、ファイブパーセント・ネーション(Five-Percent Nation)の思想やアフリカの伝統に触れたことが挙げられる。バドゥは、『Baduizm』に収録されている曲の中で人生に対する自身の考えを表現している。バドゥの哲学は、アフリカのイデオロギーであるパン・アフリカ主義やファイブパーセント・ネーションの神学、南アフリカ系アメリカ人の伝統から影響を受けている。『Mama’s Gun』は告白調の歌詞が特徴であり、不安感や社会問題、個々の人間関係をテーマにしている。『Worldwide Underground』は、ヒップホップ・カルチャーや、愛、スラム街の生活、ギャングカルチャーについて書かれた詞が少し含まれている。『New Amerykah Part One』は、社会政治的テーマをアルバムのコンセプトとしており、過去の作品よりも社会に対する主張が多くみられる。アルバムのテーマとしては、アフリカ系アメリカ人コミュニティーにおける社会問題や葛藤が挙げられ、制度的差別、宗教、貧困、都会の暴力、権力の乱用、自己満足、文化的アイデンティティ、薬物依存、ニヒリズム(虚無主義)を描いている。バドゥは、アルバムについて「宗教とか・・・それから貧しい家庭や不安定な労働者階級、いわゆる少数派の人々について訴えてる」と話した。『New Amerykah Part Two (Return of the Ankh) 』は、ロマンスや人間関係に重点をおいた、よりパーソナルな歌詞を含んでいる。バドゥは、同アルバムを「アナログ」と表現している。

幼少時代や学生時代は、クール・ハーク(Kool Herc)やレッド・アラート(Red Alert)、DJジァジー・ジェフ(DJ Jazzy Jeff)、DJスピンデレラ(Spinderella)、ソルトン・ペパー(Salt ‘n’ Pepa)などのヒップホップアーティストから影響を受けた。これらのアーティストについて「とてもインスパイアされた」と話している。バドゥは「刺激的な」経験からインスパイアされ、自身の音楽教師であるグッドマン氏からも多大な影響を受けたと話す。グッドマン氏は、バドゥの音楽への夢を促した人物である。また、影響を受けたものとして祖母の存在や宗教的見解を挙げている。祖母の宗教的見解を、「実行すれば実現するが、実行しなければ何も起らない」という教えとして大切にしている。

 

Honors and awards
1997年、ソウル・トレインのレディ・オブ・ソウル・アワードにて、6部門にノミネートされ、「On & On」で「Favorite Female Solo Single」と「Best R&B/Soul or Rap Song of the Year」を受賞し、さらに『Baduizm』で「Favorite Female Solo Album」を受賞した。1998年、アメリカ国内のアワードで14部門にノミネートされ、アメリカン・ミュージック・アワードでの「Favorite R&B/Soul or Rap New Artist」を含む合計8部門で受賞した。グラミー賞では「On & On」で最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞、『Baduizm』で最優秀R&Bアルバム賞を受賞。NAACPイメージ・アワードでは最優秀新人賞と最優秀女性アーティスト賞を受賞。ソウル・トレイン・ミュージック・アワードでは「On & On」で「Favorite Female Soul/R&B Single」と「Favorite New R&B/Soul or Rap New Artist」を受賞、『Baduizm』で「Favorite Female Solo Album」を受賞した。

2000年、グラミー賞で2部門にノミネートされ、最優秀ラップパフォーマンス賞デュオ・グループ部門で受賞した。2003年、「Love of My Life (An Ode to Hip-Hop)」がBETアワードで年間最優秀ビデオ賞を受賞し、さらに同曲は、グラミー賞で最優秀アーバン/オルタネイティブ・パフォーマンス賞に輝いた。2008年には11部門にノミネートされ、最終的に「Honey」で2つの賞を受賞した。 BETアワードでは最優秀監督賞を、MTVビデオ・ミュージック・アワードでは最優秀ビデオディレクション賞を受賞した。バドゥは、現在までに57部門にノミネートされ、そのうち16部門で受賞している。

 

Legacy
本人は否定するものの、バドゥは「ファーストレディ・オブ・ネオ・ソウル」や「クイーン・オブ・ネオ・ソウル」と称されている 。『Baduizm』は商業的成功や称賛をもたらしたと同時に、バドゥの人気を集め、ネオ・ソウル・ジャンルの先頭に立つアーティストのひとりとしてその存在を確立させた。同アルバムは、ディアンジェロの『Brown Sugar』(1995)やマックスウェルの『Urban Hang Suite』(1996)と同様に、音楽ライターの間ではネオ・ソウル人気の始まりとして認識されており、ネオ・ソウルの社会的認知度も高めてきた。

音楽ライターは、ディアンジェロの『Brown Sugar』(1995)やエリカ・バドゥの『Baduizm』(1997)、マックスウェルの『Urban Hang Suite』(1996)、ローリン・ヒル(Lauryn Hill)の『The Miseducation of Lauryn Hill』(1998)が1990年代後半にかけてネオ・ソウルの社会的認知度を確立し高めたとして、これらのアルバムがもたらした成功を認めている。ファーレイは、著書で次のように書いている。「ディアンジェロは、アルバムの中で過去の作品に敬意を示しながらも(略)自分自身の音をうみだした。キーボードの美しく鳴り響く音、官能的なヴォーカル、そして落ちついたメロディーである。(略)彼の楽曲は優雅でも上品でもなく、仰々しいものでもなく、ただただ洗練されている」 一方でバドゥについては次のように書いている。「高くそびえるアフリカのヘッドスカーフ、ほのかな香りをまとったキャンドル、そして独特な歌詞とともに現れたバドゥ。彼女は従来の模範を打破するようなスピリットをソウルミュージックにもたらした」『Baduizm』は300万枚近く売り上げ、グラミー賞では2部門で受賞した。

Personal life
ヴィーガン(純粋菜食主義者)としての生活を徹底しており、その慣行について次のように話している。「ヴィーガンフードは本来のかたちをしたソウルフードよ。ソウルフードを食べると魂が鍛えられるの。私にとって、人の魂は人の意思を指すと思うの。意思が純粋なら、その人自身も純粋ということよ」 バドゥは、時間があるときはダラスとニューヨーク州ブルックリン近辺であるフォート・グリーンを行き来しているという。

1995年、アウトキャストのアンドレ3000と交際を始め、1997年11月18日に長男セブン・シリウス・ベンジャミン(Seven Sirius Benjamin)を出産後、1999年に破局した。アンドレ3000は、バドゥとの交際をもとに、「Ms. Jackson」という曲を書いた。2000年、Soulquarian のメンバーであるコモンと交際を始めたが、2002年には破局した。2004年7月5日、長女プーマ・サブティ・カリイ(Puma Sabti Curry)を出産した。父親は、ダラス出身のウエストコーストラッパー、The D.O.C.である。2009年2月1日、ラッパーのジェイ・エレクトロニカ(Jay Electronica)と5年の交際の末、次女マーズ・マーカバ・セッドフォード(Mars Merkaba Thedford)を出産した。出産は自宅で行われ、プーマやセブンが見守っていたという。

2010年4月2日、「Window Seat」のミュージックビデオの撮影中、ダラスのデイリープラザで全裸になったとして、C級軽犯罪の治安紊乱行為で告訴された。撮影中に警察への通報はなかったが、ミュージックビデオの公開後、ダラス警察は目撃者の捜索をすすめた。4月1日、警察はバーノンに住むイダ・エスピノーサさん(32)から宣誓陳述書を受領した。その後ウォーレン・ミッチェル巡査部長は、バドゥに対し、軽犯罪の罰として500ドルの罰金を科したことを発表した。エスピノーサさんはAP通信へのコメントを控えたとのことである。2010年4月28日、バドゥは罰金を支払わずに無罪を主張する書面を提出した。8月13日、500ドルを支払い、6ヶ月間の執行猶予となった。

Controversy
2014年4月、スワジランドの支配者である国王ムスワティ3世(Mswati III)の誕生日パーティーでパフォーマンスをしたとして、アメリカを拠点とする人権財団(Human Rights Foundation)から非難を受けた。アフリカ最後の絶対君主として君臨するムスワティ3世は、人権を侵害し続ける人物としてみなされており、国内で貧困やHIV感染者の増加といった問題があるにもかかわらず贅沢な暮らしをしている。バドゥはムスワティ3世へ100ドルと幸運を呼びよせる特別な石をプレゼントしたという。

 

オフィシャルサイト(英語):http://erykah-badu.com/newssystem/news.php

 

 

■ALBUM■

Baduizm (1997)
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Live (1997)
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Mama’s Gun (2000)
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Worldwide Underground (2003)
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New Amerykah Part One (4th World War) (2008)
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New Amerykah Part Two (Return of the Ankh) (2010)
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