LIL WAYNE

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Lil Wayne(リル・ウェイン)
本名:Dwayne Michael Carter, Jr.(ドウェイン・マイケル・カーター・ジュニア)
生年月日:1982年9月27日

リル・ウェインはアメリカのルイジアナ州ニューオリンズ出身のヒップホップ・アーティスト。
1991年、9歳の時に、Cash Money Records(キャッシュ・マネー・レコーズ)のレーベル最年少アーティストとして参加し、ラッパー、Lil’ Doggie(リル・ドギー)の片割れとしてB.G.’zで活動する。
1996年、レーベルメイトのJuvenile(ジュブナイル),Young Turk(ヤング・ターク), Lil’ Doggie(現在のB.G.)とともにSouthern HIPHOP Group(サウザンヒップホップ・グループ)、Hot Boys(ホット・ボーイズ)を結成。
同年、グループは『Get It How U Live!』でデビューした。
彼は、グループのヒットアルバム『Guerrilla Warfare』(1999年)で大きい成功を納めた。
ウェインはレーベルの最重要アーティストであるとともに、彼が2005年に創設したYoung Money Entertainment(ヤング・マネー)のCEOでもある。

1999年のソロデビューアルバム、『Tha Block Is Hot』はRIAA(アメリカレコード協会)のプラチナムレコードを認定される。
続くアルバム、『Lights Out 』(2000年)、『500 Degreez』 (2002年)はゴールドを獲得。
2004年、先行シングルGo D.J.がヒットした4枚目のアルバム『Tha Carter』のリリースとDestiny’s Child(デスティニーズ・チャイルド)のシングルSoldierへの参加によって、一層の人気を獲得することとなった。
その後、『Tha Carter Ⅱ』のリリース、ミックステープやコラボレーションでの活動を経て、2008年の6枚目のアルバム『The Carter Ⅲ』が最大のヒットとなった。アメリカでは発売一週目にして100万枚以上の売り上げを記録した。
『Tha Carter Ⅲ』にはナンバーワン・シングルのLollipop, A MilliそしてGot Moneyが収録されており、グラミー賞のベスト・ラップ・アルバムを受賞した。
2010年には、ロック風の7thアルバム『Rebirth』をリリースし、一般の否定的な反応にも関わらず、ゴールドディスクを獲得した。
しかし同年3月にはニューヨークで、2007年7月の事件で武器を所有していたことを理由に訴えられ、8ヶ月の実刑を受けてしまう。
投獄中に8thアルバム、『I Am Not a Human Being 』(2010年)をリリースし、2011年発売の『Tha Carter Ⅳ』は発売一週目に96万4千枚がアメリカで売れた。このアルバムはシングル、6 Foot, 7 FootやHow To LoveそれにShe Willが収録されている。
2012年9月27日、リル・ウェインはビルボードのホット100に最も多くの楽曲(109曲)がエントリーされた男性歌手として、エルビス・プレスリーの記録を越えた。
ウェインは現在、2014年リリース予定の『Tha Carter Ⅴ』のレコーディング中である。

Early Life
ウェインは、調理師だった母親が19歳の時に産まれる。両親は彼が2歳の時に離婚し、父は家族を捨てた。ラッパーのBirdman(バードマン)とは親子関係を結んでいるが、ウェインの実父は存命している。ウェインにはまた、亡くなった義父のラビットがおり、彼の事を本当の父として認めていて、義父に捧げたタトゥーも入れている。
CBSテレビのKatie Couricによるインタヴューでは、本名のDwayneの代わりに芸名のWayneを使っている理由を説明し、「本当の親父はまだ生きていて、おれは息子だから、Dの文字を抜かした。親父はおれの人生の一部ではないし、今までもずっとそうだった。だからおれはDwayneじゃなく、Wayneでいたい。」Couricはまた「父親はその事を知っているか?」と質問し、ウェインは「「今は」知っている」と応えた。

8歳で初めてラップを書き、1991年の夏にCash Money RecordsオウナーのBryan Williams (バードマン)と出会う。ウェインが11歳の時、14歳のラッパー、B.G..とともに、初のコラボレーション・アルバム『True Story』を制作。B.G.’zという名義でリリースされる。
12歳の時には、学校の演劇クラブのオズの魔法使いでブリキ男を演じている。同じ年、9mmハンドガンで誤って自分に発砲する事故を起こし、非番の警官によって病院に運ばれた。
彼は名誉生徒であったが、14歳でマケイン・マグネット・スクールをドロップアウトし、音楽の道に専心する事となる。

1996-99:Career Beginnings and Hot Boys
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1996年にホット・ボーイズのデビュー盤『Get It How U Live!』がリリース。
続いて1999年に出したメジャーデビューアルバム、『Guerrilla Warfare』がビルボードのトップR&B/Hip-Hopアルバムチャートでナンバー1になり、ビルボード200の5位に入った。
グループの活動期間中、We On Fire (from Get It How U Live!)とI Need a Hot Girl (from Guerrilla Warfare)の2枚のシングルがチャートヒットとなった。
ウェインはジュブナイルのソロ・シングルBack That Azz Up(ビルボード・ホット100の15位、ホットR&B/Hip-Hopシングルズ&トラックスの5位)にもフィーチャーされた。
また2003年には、1999年から2000年の間にレコーディングされた未発表曲によるコンピレーション・アルバム『Let ‘Em Burn』が世に出された。アルバムはトップR&B/Hip-Hopアルバムチャートの3位とビルボード200の14位を記録。

1999-2002:Tha Block Is Hot, Lights Out and 500 Degreez
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17歳の時、ソロ・デビューアルバム『Tha Block Is Hot』が発表される。
このアルバムはビルボード200の3位になり、後にRIAAのプラチナムに認定される。また、雑誌Sourceの1999 Best New Artistへのノミネートをもたらし、トップ10ヒットにもなった。
アルバムのタイトルトラックがリードシングルとして出され、B.G.,ジュブナイル、Big Tymers(ビッグ・タイマーズ)が参加したシングルBling Blingではウェインのバースはラジオバージョンのみでフィーチャーされ、アルバムバージョンではウェインのコーラスのみが聴ける。

2000年の2ndアルバム『Lights Out』では、デビューの時の成功には及ばなかったが、ゴールドディスクを獲得している。
批評家は、彼のラップの一貫性を欠いたバースは、彼がまだ仲間のホット・ボーイズ達のレベルに達していない証拠だと、指摘した。
リードシングルはGet Off the Cornerで、その中では歌詞の内容の進歩が認められる。ホット・ボーイズをフィーチャーした2枚目のシングルShineはあまり注目されなかった。アルバムリリースの直前にウェインは、Big Tymers and JuvenileのシングルNumber One Stunna(ホット・ラップ・トラックスチャート24位)にフィーチャーされた。

3rdソロアルバムの『500 Degreez』は2002年にリリースされた。
ホット・ボーイズとMannie Fresh(マニー・フレッシュ)の大々的な参加は前2作と同様である。
前作と同じくゴールドは獲得したものの、またしてもデビュー程の成功を得ることは出来なかった。アルバムタイトルは疎遠になっているジュブナイルの400 Degreezへの言及である。リードシングルのWay of Lifeは前作のシングルのような成功には至らなかった。このアルバムの後にウェインは3LWのシングルNeva Get Enufにフィーチャーされた。

2003-06:Tha Carter, Tha Carter Ⅱand Like Father, Like Son
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2004年の夏にアルバム『Tha Carter』はリリースされた。ウェインのラップスタイルと歌詞のテーマの進化には批評家達も納得した。
カバーアートには現在の彼のトレードマークであるドレッド・ヘアの写真が初めて採用される。『Tha Carter』は大きな名声をウェインにもたらし、アメリカでは87万8千枚のセールスをあげ、シングルGo DJはR&B/Hip-HopチャートのTOP5のヒットになった。その後デスティニーズ・チャイルドのシングルSoldierにT.I.とともにフィーチャーされ、この楽曲はビルボードホット100とホットR&B/Hip-Hopソングスの3位を記録した。

2005年12月には『Tha Carter Ⅱ』が発売された。このアルバムでは、長らく協働したCash Money Recordsのプロデューサー、マニー・フレッシュは携わらなかったが、『Tha Carter Ⅱ』は発売された週に23万8千枚が売れ、ビルボード200アルバムチャートでは第2位を記録し、世界で200万枚以上の売り上げとなった。
リードシングルのFiremanはビルボードホット100で32位のヒット。その他のシングルとしては、Curren$y(カレンシー)と共演したGrown Manや、Robin Thicke(ロビン・シック)と共演したHustler MusikとShooterがある。ウェインはBobby Valentino(ボビー・バレンタイン)のリミックス曲Tell Meで客演もし、同楽曲はアメリカR&Bチャートの13位に入った。
同年ウェインは所属レーベルの社長に任命され、またYoung Money Entertainment(ヤング・マネー・エンターテイメント)を創設する。

2006年にはバードマンのアルバム『Like Father, Like Son』でコラボレートした。ファーストシングル、Stuntin’ Like My Daddyはビルボードホット100で21位となった。

2006-08:Mixtapes and Collaborations
MTV2 Presents: Lil Wayne Unplugged

次のアルバムリリースの代わりに、ウェインは大量のミックステープや、様々なポップス及びヒップホップ・アーティストのシングルでのゲストボーカルとしてファンに声を届けた。

彼のミックステープ、『Dedication 2』や『Da Drought 3』などは多くのメディアや批評家からも取り上げられた。
2006年の『Dedication 2』は、DJ Drama(DJドラマ)との制作で、ハリケーン・カトリーナの被害への、ブッシュ前大統領の対応に対する批判を含んだ、メッセージ性のある楽曲、Georgia Bushが収録されている。翌年発表の『Da Drought 3』は、フリー・ダウンロード作品として配信された。
これらのミックステープは、主要なヒップホップ雑誌、XXLやVibeなどでも多く特集された。Rolling Stone誌のChristian Hoardは『Da Drought 3』と『The Drought Is Over 2 (Tha Carter Ⅲ Sessions)』を2007年の最重要アルバムの中に入る作品と目している。

2年間アルバムのリリースはなかったものの、ウェインは多くのミュージシャンのシングルで客演していた。Chris Brown(クリス・ブラウン)のGimme That, Fat Joe(ファット・ジョー)のMake It Rain, Lloyd(ロイド)のYou, DJ Khaled(DJキャレド)のWe Takin’ Over (他にAkon, T.I., Rick Ross, Fat JoeそしてBirdmanが参加), Playaz Circle(プレイヤズ・サークル)のDuffle Bag Boy, Wyclef Jean(ワイクレフ・ジーン)のSweetest Girl(Dollar Bill) (ウェインとAkonをフィーチャー), DJ キャレドによるI’m So Hoodのリミックス(他にT-Pain, Young Jeezy, Ludacris, Busta Rhymes, Big Boi, Fat Joe, Birdman, そしてRick Rossが参加)。これらのシングルは全てビルボードホット100, またホット・ラップ・トラックスそしてホットR&B/Hip-Hopソングスチャートのトップ20に入っている。
バードマンの2007年のアルバム『5 * Stunna』ではシングル曲100 MillionとI Run This’の他、いくつかの楽曲に参加。
また、他のアーティストのアルバムではLittle Brother(リトル・ブラザー)の『Getback』, Jay-Z(ジェイ・ジー)の『American Gangster』, Kanye West(カニエ・ウェスト)の『Graduation』, Enrique Iglesias(エンリケ・イグレシアス)の『Insomniac』のそれぞれの中で楽曲に参加している。
ファット・ジョーとのシングルMake It Rain(Scott Storchプロデュース)は、ホット100の13位、ホット・ラップ・トラックス・チャートの2位を記録、2008年度グラミー賞のベスト・ラップ・パフォーマンスにデュオでノミネートされた。

Vibe誌は、2007年にウェインが関わった77曲をランク付けし、DJ KhaledのWe Takin’ Overでのバースを1位に、『Da Drought 3』からDough Is What I Got (ジェイ・ジーのShow Me What You Gotのビートを使用)でのフリースタイルを2位に選んだ。
2007年末には、MTVの投票でHottest MC In The Gameに選出。雑誌New Yorker(ニューヨーカー)からはRapper of the Yearに選ばれ、雑誌GQからは、Workaholic of the Yearの称号を与えられる。2008年には雑誌Rolling Stone(ローリング・ストーン)からBest MCの称号を授かる。
ある記事では、2007年のミックステープの活動における彼のクリエイティブな実践を、ポスト・パフォーマンス・クリエイティブの実践のお手本として挙げている。

 

2008-10:Tha Carter Ⅲ, We Are Young Money, and Rebirth

2011 MTV Video Music Awards - Show

2007年にウェインは、B.G.のソロアルバム『Too Hood to Be Hollywood』の完成を待って、グループのアルバムをリリースする計画のもとに、ホット・ボーイズの再結成を宣言した。
『Tha Carter Ⅲ』は2007年に発表される予定だったが、いくつかのレコーディングが漏れた事とミックステープに献上された事で、延期になった。
『Tha Carter Ⅲ』のリリース予定日は2008年3月18日まで延ばされ、漏れた楽曲を集めた『The Leak』は5曲入りのEPとして、2007年12月25日にデジタル配信でリリースされた。

『Tha Carter Ⅲ』は2008年6月10日にリリースされる。発売一周目に100万枚を越え、その記録は50 Cent(フィフティ・セント)の『The Massacre 』(2005年) 以来の快挙だった。Static Major(スタティック・メジャー)をフィーチャーしたファーストシングルのLollipopは自身初の、ビルボードホット100で第1位を獲得。T-Pain(ティー・ペイン)をフィーチャーした3枚目のシングルGot Moneyは13位止まりであった。
『Tha Carter Ⅲ』は、ベスト・ラップ・アルバム、Lollipopによるベスト・ラップ・ソングの受賞を含む計4部門でグラミー賞を受賞。7月14日にはダブル・プラチナムを認定されている。
ウェインは10月にMTVニュースで、アルバムの再リリースを発表。

同年はまた多数のアーティストのシングルにも参加。Lloyd(ロイド)のGirls Around the World, Usher(アシャー)のLove In This Club, Part Ⅱ, Cassie(キャシー)のOfficial Girl, Akon(エイコン)のI’m So Paid, Keri Hilson(ケリ・ヒルソン)のTurnin’ Me On, T-Pain(ティー・ペイン)のCan’t Believe It, The Game(ザ・ゲーム)のMy Life, David Banner(デヴィッド・バナー)のShawty Say, T.I.のSwagga Like Us, Mike Jones(マイク・ジョーンズ)のCutty Buddy, Jay Rock(ジェイ・ロック)のAll My Life (In the Ghetto), Glasses Malone(グラシズ・マローン)によるCertifiedのリミックス、そしてキャッシュ・マネーの新人Kevin Rudolf(ケヴィン・ルドルフ)のLet It Rockなどである。

10月にはニューオリンズのヴードゥー・エクスペリエンスでパフォーマンスを行った。
ヴァージン・モバイル・ミュージック・フェストにも出演し、Kanye West(カニエ・ウェスト)とともにLollipopのリミックスやホイットニー・ヒューストンのI Will Always Love Youの口パクを披露した。
MTVビデオ・ミュージック・アウォードにKid Rock(キッド・ロック), Leona Lewis(レオナ・ルイス), T-Pain(ティー・ペイン)らと出演。サタデイ・ナイト・ライブのシーズン・プレミアではLollipopとGot Moneyのパフォーマンスを見せた。
バンダービルト大学の卒業生集会やBETヒップホップ・アウォードでもパフォーマンスをした。
BETヒップホップ・アウォードではMVPを含む8部門で受賞した。
アイ・アム・ミュージック・ツアーでは、妊娠により降板したM.I.A.に代わって加わったジェイ・ジーと2人でMr. Carterを連日披露した。

『Tha Carter Ⅲ』が300万枚以上のセールスを達成し、ウェインはキャッシュ・マネーとの複数アルバム契約に再署名した。
グラミー賞で8部門にノミネートされた直後、11月11日には、ヒップホップ・アーティストとしては初めて、カントリー・ミュージック・アソシエイション・アウォードに出演しキッド・ロックと一緒にAll Summer Longを歌い、2008年の暮れには、MTVの第一回Man of the Yearを受賞。
グラミー賞では、A Milliでベスト・ラップ・ソロ・パフォーマンスを、T.I.のシングルSwagga Like Usでベスト・ラップ・パフォーマンスbyデュオorグループを、Lollipopでベスト・ラップ・ソングを、そして『Tha Carter Ⅲ』ではベスト・ラップ・アルバムを受賞した。
MTVはウェインを、来たる2009年のthe Hottest MCs In the Gameの2位に選んだ。

2009年はスポーツ関係のディベートやテレビへの出演が続き、映画『Hurricane Season』(ハリケーン・シーズン)では俳優、音楽製作を手掛けた。また、自身の伝記映画、『The Carter』がサンダンス映画祭で上映された。

12月23日、ヤング・マネーのコラボレーション・アルバム『We Are Young Money』をリリース。リードシングルはEvery Girl, 2ndシングルBedRockではロイドがフィーチャーされ、3rdシングルはRoger Thatだった。2010年5月24日、アルバムは50万枚以上の売り上げでゴールドディスクに認定される。
ウェインは、マドンナのグレイテストヒッツアルバムの楽曲Revolverやロックバンド、ウィーザーの楽曲Can’t Stop Partyingで客演する。
彼は2008年暮れに『Tha Carter Ⅲ』の、『Rebirth』と言うタイトルでの再発の考えを公表していたが、打って変わって、ウェインのロックスタイルのデビューアルバム、『Rebirth』として2009年4月7日にリリースされた。

このアルバムとヤング・マネーのリリースの為に、ローリング・ストーン誌の表紙を飾り、America’s Most Wanted Music Festival(アメリカとカナダ
で開催されるコンサートツアー:2009年7月29日から)においてヤング・マネーの仲間とともにヘッドライナーを務めた。
『Rebirth』からのファーストシングルProm Queenは2009年1月27日にリリースされビルボードホット100で15位を記録。2ndシングルOn FireはCool & Dre(クール&ドレー)のプロデュースで、ビルボードチャートの33位。3rdシングルはEminem(エミネム)をフィーチャーしたDrop the Worldだった。

2010-11:I Am Not a Human Being and Tha Carter Ⅳlilwayne-iamnotahumanbeing
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ウェインはMTVのミックステープ・マンデーのインタビューで『Tha Carter Ⅳ』の可能性を断言した。そしてそれは2009年後半のホリデーシーズンの前にリリースされると告げられた。

EPになる予定だった、10枚めのアルバム『I Am Not a Human Being』が彼の28回目の誕生日である2010年9月27日にリリースされる。アメリカでは95万3千枚が売れ、シングルRight Above Itはビルボードホット100で第6位のヒットとなった。
ウェインが刑務所を出所した後にレコーディングが開始され、『Tha Carter Ⅳ』のリリースは2011年まで遅れた。Cory Gunz(コリー・ガンズ)をフィーチャーしたリードシングル6 Foot 7 Foot(プロデューサーはA Milliと同じくBangladesh(バングラデシュ))が2010年12月15日にリリースされ、16日にはiTunesでのダウンロードが可能になった。

2011年3月8日、『Tha Carter Ⅳ』のトラックリストには入っていなかった楽曲、We Back SoonをStreetRunner(ストリート・ランナー)のプロデュースでリリース。
3月24日には、Polow Da Don(ポロウ・ダ・ドン)のプロデュースでリック・ロスをフィーチャーした2ndシングルのJohnがリリースされる。5月26日には3rdシングルHow To Loveのリリース。6月に入るとDear Anne (Stan part2)(ウェインによるとこの曲は『Tha CarterⅢ』の時の曲で、Ⅳに入れるつもりだったが、結局入れない事にしたと言う。)のリリースと続いた。

7月にはMTVのインタビューで『Tha Carter Ⅳ』の完成を発表し、アルバムは遂に8月29日にリリースされたが、その前に『Tha Carter Ⅳ』の予習としてミックステープ作品、『Sorry 4 the Wait』をリリースしていた。
『Tha Carter Ⅳ』は発売一週目で96万4千枚を売り上げ、ビルボード200の第1位に輝いた。
ウェインのキャリア史上3枚目のチャートトップアルバムとなった。

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ウェインはバードマンとの、『Like Father, Like Son 2』のレコーディングを終え、『Tha Carter Ⅴ』がラストアルバムになるだろう事がバードマンから公表される。

長い遅れをもって、2013年3月26日に、アルバム『I Am Not a Human Being Ⅱ』がリリースされる。
アルバムは発売一週目で21万7千枚が売れて、ビルボード200の第2位を記録した。My Homies Still, Love Me, No Worriesが先行シングルとしてリリースされている。しかしアルバムは一般から賛否両論を受け、多くの批評家からはリリースする作品の質が低下している事を指摘された。

2013年5月3日には、公民権のアイコン、エメット・ティルに関する攻撃的な歌詞のせいで、ペプシコからマウンテンデューのスポークスパーソンを下ろされる。

9月1日には、ミックステープ作品、Dedicationシリーズの5作目をリリース (『Dedication 5』)。29曲を収録し、ヤング・マネーのメンバーを含む多数のゲストが参加している。

2014:Tha Carter Ⅴtha+carter+v

『Tha Carter Ⅴ』のリリースに関して関係者がTwitterで投稿するなどしている。
2月15日には、ウェインがニューオリンズでのNBAオールスターコンサートのDrake(ドレイク)のステージにスペシャルゲストとして現れ、数曲を披露した後、5月5日に『Tha Carter Ⅴ』がリリースされるというニュースを2人で発表したが、3月27日にはマネージャーにより制作の遅れが伝えられている。

『The Carter Ⅴ』に先立って、いくつかのコラボレートアルバムがリリースされるだろう事がウェインによって示唆されている。

Retirement
2011年3月29日、Hot 97(ラジオ局)のAngie Martinezとのインタビューでウェインは、35歳でリタイアする事を公表した。
『Tha Carter Ⅴ』が彼の最後のアルバムになる事を公に何度も明言している。

Young Money  Lil Wayneオフィシャルホームページ(英語)http://www.youngmoney.com/artists/lil-wayne#.U71Jtha0Rr8

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