NAS

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Nas(ナズ)

本名:Nasir bin Olu Dara Jones
生年月日:1973年9月14日(41歳)

アメリカンラッパー、シンガーソングライター、俳優でもあるNas(ナス)。ジャズミュージシャン、Oul Dara(オウル・ダラ)の息子である。1994年以来、8回連続プラチナ、マルチプラチナアルバムをリリースし、世界中で2500万枚も売り上げた。ラップと俳優業の他に、自身のレコードレーベル、スニーカー小売業、雑誌出版など、企業家でもある。Mass Appeal Magazine(マス・アピール・マガジン)の提携出版者や、Fila(フィラ)スニーカーストアーのオーナーも務めている。現在はDef Jam Recordings(デフ・ジャム・レコーディングス)と契約中。

1991年、Main Source(メイン・ソース)の楽曲”Live at the Barbeque”でフィーチャーされ、Nasの音楽キャリアがスタートする。1994年にリリースされたデビューアルバムIllamaticは音楽評論家、ヒップホップコミュニティーの両方から世界的な賞賛を受けた。グレイテストヒップホップアルバムではよくランクインしている。次作のIt Was Writtenはビルボードチャートで初登場1位、その後も4週連続で1位となり、たった2週間で2回のプラチナ認定し、Nasを世界に知らせることとなった。

2001年から2005年にかけ、Jay-Z(ジェイZ)との確執が公となっている。2006年、NasはDef Jam(デフ・ジャム)と契約をする。2010年、レゲエアーティストDamian Marley(ダミアン・マーレイ)とのコラボアルバムをリリースし、その売上を全てアフリカでのチャリティー活動へ寄付した。2012年、自身11枚目のアルバムLife is Goodがリリースされた。

Nasはよくトップヒップホップアーティストとして名前が挙がる。MTVは、The Greatest MCsとして5番目に彼を挙げ、2012年、The SourceがMTVのTop 50 Lyricists of All time(作詞家トップ50)に2番目にNasの名を挙げている、2013年MTVの”Hottest MCs in the Game”(ホット業界人)として4番目に名が挙がっている。ビルボード200では6枚のアルバムが1位を獲得し、Eminem (エミネム)やKenye West(カーンヤェイ・ウェスト)と並んでラッパーの中で2位としている。

Early life
Nasir bin Olu Dara Jones(ナシアール・ビン・オル・ダラ・ジョンズ)はニューヨーク、ブルックリンのクラウンハイツで生まれる。父親のOlu Dara(本名Charls Jones Ⅲ(チャールズ・ジョーンズ3世)はミシシッピ州ナチェス出身のジャズ、ブルーズのミュージシャンである。母親のFannie Ann Jones(ファニー・アン・ジョーンズ)はノースカロライナ出身の郵便局員であった。Jabari Fret(ジャバリ・フレット)という名の弟が1人おり、Jungle(ジャングル)の別名で活動している。幼少期、Nas一家はクイーンズ・ロングアイランド・シティーのクイーンズブリッジハウスに引っ越している。 近所に住んでいたWilly Graham(ウィリー・グラハム)こと”Ill Will”が、レコードを聞かせ、Nasをヒップホップの世界へと導いた。1985年に両親が離婚し、8年生が終了した時に退学した。彼はFive Percent Nation(ファイブ・パーセント・ネイション), the Nuwaubians(ヌワウビアン), 聖書そしてコーランを通じてアフリカン文化を自身で学んだ。

Career
Late 1980s–1994: Underground beginnings and album debut
10代の頃は、親友と上に住むWilly “Ill Will” GrahamをDJにチームを組む。Nasは元々、よく知られているNasty Nas(ナスティー・ナス)を名乗り始める前、Kid Wave(キッド・ウェイブ)というニックネームを使用していた。1980年代後半、プロデューサーLarge Professor(ラージ・プロフェッサー)と出会い、Rakim(レイキム)やKool G Rap(クールGラップ)がアルバム収録を行っていたスタジオへも行った。彼らがスタジオを使用していない時、Nasは収録室へ入り、自身の作品を収録していた。しかし、どれもリリースはされていない。1991年、Main Sourceの”Live at the Barbeque”へ出演した。1992年半ば、MC Serch of 3rd Bass(MCサーチ・オブ・3バス)からアプローチされ、Nasのマネージャーとなり、その年、Columbia Records(コロンビア・レコーズ)とのレコード取引を見守った。”Nasty Nas”の名で、映画ZebraheadのSerchのサウンドトラックに収録されているシングル”Halftime”でソロデビューを果たした。新生Rakimと呼ばれ、彼のライムスキルはヒップホップコミュニティーの大多数を魅了した。

1994年、デビューアルバムIllamaticがついにリリースされた。The SourceよりFive Micsを受賞した。Large Professor、Pete Rock(ピート・ロック)、Q-Tip(Q ティップ)、L.E.SやDJ Premier(DJプレミア)からの作品をフィーチャーし、友人AZや父親Oul Daraもゲスト出演している。このアルバムから、”The World Is Yours”、”It Ain’t Hard to Tell”、そして”One Love”など、いくつかのシングルも生まれている。MTVニュースのShaheem Reid(シャヒーム・レイド)はIllmaticを1994年「初クラシックLP盤」と語っている。1994年、映画Street Fighterのサウンドトラック内にて”One on One”を収録している。To the Break of Dawn: A Freestyle on the Hip Hop Aestheticという本の中で、William Jelani Cobb(ウィリアム・ジェラニー・コブ)はこの時のNasの印象についてこう書いている。
Queensbridgeの詩的賢人Nasは第2のRakimと認められている…もう第一人者も昔の人かもしてないけど…。Nasは「次のRakim」には決してならなかった、いや、ならなくていいんだけど。Illmaticはとても良い評価を得た。荒れ狂う東西ヒップホップ争いのるつぼとなった事実を結び付けている卓越したリリシズムは、すぐにプレミアライターとしての評判が根付いた。

Allmusic(オールミュージック)のSteve Huey(スティーブ・ヒューエイ)はアルバムIllmaticのNasの歌詞を”とても教養がある”と言い、彼のラップは”言葉数に関係なく非常に良く流れるようだ”と表現し、「ゲットー生活のわびしい現実を希望を見失わず、良い時間も忘れることなく心に呼び覚ますことができる」とも言っている。NasのセカンドアルバムのIt Was Writtenを見てみても、AllmusicのLeo Stanley(リオ・スタンレー)はIllmaticほどライムは難しいものになっていないが、「ただ流れるだけでなく、筋の通ったストーリーが展開されている」と述べている。About.comではIllmaticをグレイテスト・ヒップホップアルバムとして挙げており、雑誌Prefixでは”今までのヒップホップの中でも最高傑作”と賞賛している。

1995–97: Mainstream direction and The Firm
Columbia Recordsは、未だにpop-friendly appeal を維持したままのストリートシングルをリリースしたことで成功したThe Notorious B.I.G(ザ・ノートリアウス・BIG)のようにNasをさらに売り出していくようになる。1995年、AZのDoe or Die、Mobb DeepのThe Infamous、RaekwonのOnly Built 4 Cuban Linx、Kool G Rapの4,5,6といったアルバムにゲストとして出演している。NasはまたマネージャーのMC Serchから離れ、Steve Stouteと協力し、2枚目のLP盤It Was Writtenの準備を始め、クロスオーバー指向の音楽になるように意識的に取り組んでいた。Tone and Poke of Trackmastersが主にプロデュースしたIt Was Writtenは1996年の夏にリリースされた。2つのシングル”If I Ruled the World (Imagine That)”(The FugeesのLauryn Hill(ローリン・ヒル)をフィーチャー)と”Street Dreams”、R.Kelly(R・ケリー)とのリミックスが大ヒットとなった。これらの曲はHype Williams(ハイプ・ウィリアムズ)によるbig-budget music videosで取り上げられ、Nas名がヒップホップ界で広くし知られることとなった。It Was Writtenは、Nas、AZ、Foxy Brown、Cormega(コーメガ)を含むスーパーグループThe Firm(ザ・ファーム)のデビューをフィーチャーしている。このアルバムはScarface/Casinoの風のライフスタイルを生きたNasのペルソナ、エスコーバルについて詳しく述べている。一方でScarfaceの主人公Tony Montana(トニー・モンタナ)から多くを引用しているIllmaticは、Nasがそれと共に成長した様子がもっと語られている。

Dr. DreのAftermath Entertainment(アフターマス・エンターテイメント)と契約後、The Firmはデビューアルバムの制作に取り掛かる。アルバム制作の途中、Cormegaは、Steve Stouteの経営する会社との契約成立がうまくいかず、彼にグループから外された。Cormegaは後にNasの最大のライバルとなり、Nas、Stoute、The Firmの4人目の後続メンバーとなったNature(ネイチャー)を非難する多くのアンダーグラウンドヒップホップシングルをリリースした。Nas, Foxy Brown, AZ, and Nature Present The Firm: The Albumは1997年、ついにリリースされ、賛否両論の結果となった。プラチナ認定されたものの、アルバム売上は予想には及ばず、メンバーはそれぞれの道に進むこととなった。

この間、NasはヒップホップのスーパーグループGroup Therapy(グループ・セラピー)の4人のラッパーのうちの1人でもあり(他のメンバーはB-real(Bリアル)、KRS-One(KRSワン)、RBX)、Dr.Dre Presents the Aftermathの”East Coast/ West Coast Killas”の歌に出演している。

1997–2000: Inconsistent output
1997年後半、NasはダブルアルバムI Am… The Autobiographyの制作を始め、このアルバムはIllmaticとIt Was Writtenの間を取ったようなものであり、それぞれの楽曲で自身の人生が述べられていると話している。1998年、Hype Williamsの1998フィーチャーフィルムBellyを共同制作し出演もした。I Am… The Autobiographyは1999年前半に完成し、リードシングル”Nas Is Like”のミュージックビデオが撮影された。これはDJ Premierによるプロデュースであり、”It Ain’t Hard to Tell”の1部も含まれている。音楽評論家のM.F. DiBella(M F ディベラ)はNasは、自伝の歌詞以外では、アルバムの中で”政治、ヒップホップ界のありさま、Y2K、人種、宗教を彼の独自の見解”にてカバーしていると述べている。LP盤がインターネットを通じてMP3にコピーされることが多くなった中、NasとStouteは単一ディスクリリースを作るのに代替えを十分に収録していた。

Sean “Puff Daddy” Combs(ショーン・パフ・ダディー・コブズ)をフィーチャーしており、商業的な活動へと移っていったNasの批判を例えに使った、I Am…のセカンドシングル”Hate Me Now”。このビデオではNasとCombsをジーザスのように十字架に磔にしているが、このビデオ制作が終わった後、Combsはこのシーンをビデオからカットするように要求している。しかし、編集されていないビデオがMTVに送られることとなってしまった。伝えられるtころでは、放送数分後には、CombsとボディーガードがSteve Stouteのオフィスへ向かい、暴行を加えた。シャンペンボトルでStouteの頭を殴ったともいわれている。Stouteは告訴したが、両者はその6月に示談が成立している。Columbiaは1999年後半I Am…よりNastradamusというタイトルで模倣作品をリリースしようとしたが、直前になって、Nasは同じタイトルで全て新しい楽曲を含んだアルバムをリリースすることを決めた。Nastradamusは11月発売にむけて急ピッチで制作が進められた。しかしこのアルバムに対しての評価はいまいちで、”You Owe Me”もヒットすることはなかった。

2000年、QB’sFinestとしてよく知られているNas & Ill Will Records Presents QB’sFinestがNasのIll Will Recordsよりリリースされた。このQB’sFinestはNasとMobb Deep 、Nature、Capone(ケイポーン)、Bravehearts(ブレイブハーツ)、Tragedy Khadafi(とらじぇディー・カラフィー)、Millennium Thug(ミレニアム・サグ)、そしてNasと一時的に和解をしたCormegaを含むQueensbridgeプロジェクトからの他のラッパーをフィーチャーしているコンピレーションアルバムである。また、Queensbridgeから伝説のヒップホップRoxanne Shanté(ロクサーン・シャンティ)、MC Shan(MCシャン)、そしてMarley Marl(マーレイ。マール)をゲスト出演としてフィーチャーしている。ShanとMarleyの両者は、2人の1986年の楽曲”The Bridge”を基にして作られたリードシングル”Da Bridge 2001”に出演している。ファンと評論家達はNasのキャリアが音楽家としても商業的にも低迷してきており、I AmとNastradamusの両方とも様々な批評がなされた。

2001–03: Feud with Jay-Z and artistic comeback
様々な楽曲で低評価がなされ、フリースタイルやミックステープに登場した後、2001年NasとJay-Zの間での確執が大きく公となった。Jay-Zは自身の曲”Takeover”の中で、Nasは「偽物」であり彼のキャリアは「ダサい」と批判している。これに対しNasは”Ether”でシットコムGood Timesに出ているJ.J. Evans(J J エヴァンズ)やタバコ会社のマスコットJoe Camel(ジョー・キャメル)などと比較して、応えている。この曲は2001年12月にリリースされた5枚目のアルバムStillmaticに含まれている。Stillmaticはビルボード200で5位にランクインし、”Got Ur Self A…”と”One Mic”のシングルをフィーチャーした。

”Ether”に応えるように、Jay-Zは”Supa Ugly”をリリースし、2001年12月11日、Hot97のラジオホストAngie Martinez(アンジー・マーティンズ)が封切した。この曲の中で、Nasのガールフレンド、Carmen Bryan(カルメン・ブライアン)と浮気をしていることを公表して自慢していた。ニューヨークのヒップホップラジオHot97はどちらのラッパーがより非難している曲かという世論調査を行った。結果はNasが58%で勝ち、Jay-Zは42%だった。2002年、2人のニューヨークラッパーの闘争の真っ只中で、Eminemは自身の曲”Till I Collapse”の中で、NasとJay-Zはこの業界で優秀なアーティストだと歌っている。確執とStillmaticがNasを一連の低評価アルバムの後、アーティストとして返り咲くきっかけとなった。1997年から2001年に作られた未発売の曲やブートレッグのコンピレーション、The Lost Tapesを2002年9月にColumbiaからリリースした。そこそこの売上を達成し、評論家達からは大絶賛の評価を受けた。

2002年12月、リードシングル”Made You Look”を含むアルバムGod’s Sonをリリースし、その曲はIncredible Bongo Band(インクレディブル・ボンゴ・バンド)の”Apache”を低音にして活用している。ビルボードホット100では最高12位となり、トップR&B/ヒップホップアルバムではナンバー1となったが、インターネット上では海賊版が出回った。Time Magazineは今年1番のヒップホップアルバムとして名を挙げた。Vibeは4つ星、The Sourceは4micsを与えた。Beethoven(ベートーベン)の”Für Elise” を再加工したセカンドシングル”I Can”は、2003年春夏で1番のヒットとなり、アーバン、リズミック、top40といったラジオ局で多く放送され、MTVやVH1ミュージックビデオネットワークでも注目された。God’s Sonの”Dance”を含めたいくつかの曲は2002年に癌で亡くなったNasの母親の思い出も入っている。2003年には、KornアルバムTake a Look in the Mirror LP盤の”Play Me”でフィーチャーされている。また2003年にはLudacris(ルダクリス)、Jadakiss(ジェイダキス)、Darryl McDaniels(ダリル・マックダニエルズ)(Run-D.M.C)をフィーチャーしたニューヨークでのライブはMade You Look: God’s Son LiveのタイトルでDVDがリリースされている。

God’s SonはNasとJay-Zの批評的な権力闘争の真っ只中であった。この時、記事でPopMatters(ポップマターズ)のJoseph Jonesは「君たちが好きでも嫌いで、”Ether”はやってのけたたね。God’s SonのおかげでNasはこれから3、4年の間はニューヨークのキングとしての地位が確定した、もしかしたらヒップホップのファンたちが希望を託している救世主ではないと証明するかも。」と述べている。アルバムがリリースされた後、弟のJungleとその友人Wiz(ウィズ)で結成されたThe Braveheartsを手伝い始め、デビューアルバムBraveheartedを完成させた。このアルバムはNas、Nashawn(Millennium Thug)、Lil Lon(リル・ジョン)、Jully Black(ジュリー・ブラック)をフィーチャーしている。

2004–06: Double album and Def Jam
Nasは2004年11月30日、異なった方向性のあるダブルアルバムで、自身7枚目のアルバムとなるStreet’s Discipleをリリースした。政治的な問題や結婚間近のレコーディングアーティストKelis(ケリス)との内容を含む私生活が歌に含まれている。ダブルサイドシングル、”Thief’s Theme”/”You Know My Style”がアルバムリリースの数か月前にリリースされ、続いて”Bridging the Gap”がアルバムリリースに際しリリースされた。Street’s Discipleはプレミア認定されたものの、Nasの以前の成功と比べてだいぶ下降状態にあった。

2005年、ニューヨークを拠点にしているラッパー50Centは”Piggy Bank”でNasを非難しているが、ホップホップ界で彼の評判に疑問が出てくることとなった。10月NasはJay-ZのコンサートI Declare Warにサプライズ出演し、そこで彼らは不仲を和解した。そこでJay-Zは観衆にこう言った、「これは”I Dleclare War”(宣誓布告)より大きなこと!よし、いくぞ、Esco!」Nasはステージに参加し、2人はNasの”The World Is Yours”の有名な1部をフィーチャーしたJay-Zの”Dead Presidents”(1996)を一緒に歌った。この和解は、Jay-Zが社長を務めていたDef Jam Recordingsとの契約の機会を作ることになる。2006年1月契約成立。契約にはDef Jamから発売する最初n2つのアルバムに対し、レコーディング予算を含む約3億円支払うことで合意している。

2006–08: Politicized efforts and controversies
仮名Hip Hop Is Dead…The NとよばれているHip Hop Is Deadはヒップホップ界のおける論評であり、『黒人共和主義者」をフィーチャーしており、Jay-Zとの大々的なコラボレーションである。Def JamとNasの新しいインプリントThe Jones Experience(ザ・ジョンズ・エクスペリエンス)からアルバムデビューを果たし、ビルボード200では1位、355,000枚を売上げ、It Was WrittenとI Am…に続いて3枚目のアルバム1位となった。またヒップホップ界でも強い印象を与え、特に南出身のヒップホップアーティスト達からは、彼らを批判しているようなタイトルだと大きな問題となっている。Nasの2004年の楽曲”Thief’s Theme”は2006年の映画The Departedでフィーチャーされている。以前のレーベルColumbia Recordsは11月にコンピレーションアルバムGreatestHitsをリリースしている。

2007年10月12日、次のアルバムはNiggerというタイトルだと発表。Jesse Jackson(ジェシー・ジャクソン)やAl Sharpton(アル・シャープトン)のような革新的コメンテイターや、保守的なニュースFox Newsは憤慨した。JacksonはコメディアンのMicheal Richards(マイケル・リチャーズ)が2006年後半にステージ上で使用した後、その軽蔑な言葉の使用を控えるように芸能界へ呼びかけた。アルバムのリリースが近づくにつれて論争はエスカレートしていき、Nasがタイトルを変えなければ、Def JamはNasをグループから外すとまで噂が流れた。さらに、ブルックリン・フォートグリーンの下院議員Hakeem Jeffries(ハキーム・ジェフリーズ)はニューヨークの監査官に対し、アルバムのタイトルが変わらないならば、Universal(ユニバーサル)や親会社のVivendi(ビベンディー)に投資されている州年金基金から約84億を引き出すように要求した。周囲の反応はよそに、エンターテイメント業界の多くの有名人はフルバージョンのLP盤のタイトルに非人種的な言葉を使用するNasを信じていると言っている。NasのマネージメントはWal-Martのようなチェーンストアで発売ができないかもしれないと心配したが、流通が制限されるこことなった。

2008年5月19日、Nasはアルバムのタイトルを見合わせることにした。Jesse Jacksonの意見や” nigger”という言葉の使用について反応し、Nasは自身のことを「遊びが大嫌いな人間」と呼び、「彼の時代は終わり。古いniggasの時代も終わり。声を聞いたし、マーチングしているもの、説教も全部聞こえた。もうそんなの聞きたくもない。今は新しい時代。新しい声。今、自分もここにいる。Jessなんか必要ない。自分がここにいる。任せろ。自分たちが今声になる。これ以上Jesseはいらない。ごめんよ、サヨナラ。君はここでは何の助けにもならない、以上。」と述べている。さらにアルバムのタイトルについて、

このアルバムがファンに届くことが重要なんだ。だいぶ時間が経ってしまった。ファンには知っておいてもらいたい、創造的にも歌詞的にも、同じ内容で同じメッセージを期待できると。このアルバムの何が本当のタイトルか、何と呼ばれるべきかは、みんなわかるはずだ。
—Nas

このアルバムはタイトルがないまま、2008年7月15日に発売された。これは、Polow da Don、Dead Prezのstic.com、Sons of Light & J. Myersからプロダクションをフィーチャーしており、アルバムのリードシングル”Hero”はビルボードホット100で97位、ホットR&B/ヒップホップシングル&楽曲で87位となた。7月、Filaとの靴の契約を得た。7月のMTVニュースでは、2つのアルバムリリースをほのめかしており、1つはDJ Premierが、もう1つはDr.Dreがプロデュースし、同日同時発売する予定としている。NasはDr.DreのスタジオアルバムDetoxの制作に関わっている。また、Nasはソロの功績と他のアルバム出演から2008年ヒップホップDX賞から”Emcee of the Year”に選ばれ、自身のことを「見直すことができなく、システムに反していくアーティスト」と説明している。

Bill O’Reilly/Virginia Tech controversy
2007年9月6日、銃射事件のあったVirginia Tec student body and facultyでフリーコンサートをした。John Mayer(ジョン・メイヤー)、Alan Jackson(アラン・ジャクソン)、Phil Vassar(フィル・バサール)そしてDave Matthews Band(デイビッド・マシューズ・バンド)も参加した。Nasが出演するとアナウンスされた時、政治コメンテイターのBill O’Reilly(ビル・オーライリー)とFOXニュースチャンネルはコンサートのことは言及せず、Nasを外すよう呼びかけ、”乱暴”な歌詞である”Shoot ‘Em Up”、”Got Ur Self  a Gun”、”Made You Look”の名を挙げた。2007年8月15日のTalking Points Memoのセグメント中で、O’ReillyはNasのイベントに不向きな歌詞内容だけでなく、彼自身の銃による前科を挙げ、論争が激化した。著者Bakari Kitwana(バカリ・キツワナ)( The Hip Hop Generation)との対談の中で、彼はNasを擁護し、Foxニュースはこのために曲の1部分だけを抜粋するなんて「幼稚なこと」だと言い、これに対しO’Reillyは「自身の人生においてでもだよ、彼には武器に対する信念がある、いいですか?武器に対して信念があるんですよ?彼の心に!ここは銃によって大量殺人があったところで、何人も死傷しているんだ、それが武器を信じているものが相応しいっていうのかい?勘弁してくれよ!」O’Reillyは編集前の映像では同じことを5回も述べていた。

2007年9月6日、”A Concert for Virginia Tech”の中で、2回Bill O’Reillyの「ばか」さをマネしており、観衆から喝さいが起こった。約2週間ご、O’Reillyを野蛮であり、世間の注目のために極地まで行っていただきたと批判したMTVニュースのShaheem Reidからインタビューを受けた。O’Reillyに応えるように、NasはMTVニュースのインタビューの中で、こう述べている。

彼は若い世代を理解していない。過去に囚われている。彼が代表するのは共和主義者、年配の人、そして今の時代に起きている現実と向き合わなくていい世代。ま、彼は僕のレーダー上にはいないけどね。彼みたいな人間は教えられるべきで、僕のような人間は彼のようなniggasに教える。彼がやていることは事実が混乱させただけ。Bill O’Reillyが言うことはいっさい称えないよ。彼みたいな強欲非道な人がどんなことをするのか示しただけ、Virginia Techの悲劇を視聴率の為にしようしたみたいにね。そんな人とは話にならないよ。

2008年7月23日、O’ReillyとFoxニュースについての意見を語るためにテレビ番組The Colbert Reportに出演し、アフリカ系アメリカ人に対する先入観を非難し、O’Reillyとのディベートに再チャレンジすると語った。この出演中、オンライン署名サイトColor of Changeで集めた人種差別やホラー的なFoxを非難するための625,000の署名を集めた箱に座っていた。

2009–present: Collaboration and Life Is Good
2009年のグラミー賞で、2009年秋にリリース予定のレゲエアーティストDamian Marleyとのコラボアルバム制作を発表した。コラボについてインタビューでは、「僕はDamianの父親の大ファンだったんだ、もちろん彼の子供たちも、子孫たちも、そしてDamianも、Damianはちょっとラッパーのような気もする。彼の作品は歌っていないような感じなんだよね、仮に歌ってたとしても、ちょっと分かりずらいかな、ストリートミュージックみたいに。レゲエとヒップホップがどうからみ合うかのかがいつも好きで、なんかお互いを押し合ってて、コネクションが好き。他のレゲエアーティストとも働いたことあるけど、Damianとやた時、完璧だったんだ。」と述べている。収益はアフリカに学校建設の為に使う予定。彼は「タイトルやその他を語るにはまだ早すぎる段階」と言っていた。The Los Angeles TimesはアルバムのタイトルをDistant Relativesだと報道している。そのアルバムのリリース後、自身10枚目のアルバムを制作すると公表している。2009年秋、ライブバンドのMulatto(マラット)と音楽ディレクターDustin Moore(ダスティン・ムーア)と共にゆーろっぱオーストラリアでツアーを行っている。

2010年のリリース予定を発表後、The Lost Tapesに続いたコンピレーションアルバムがNasとDef Jamとの間の不明確な問題により、延期された。彼の11枚目のアルバムLife Is Good(2012)がSalaam Remi(サラーム・レミ)とNo I.Dによりプロデュースされ、2012年8月にリリースされた。彼はこのアルバムはラップキャリアの中でも「マジック的な時間」と呼んでいる。

2011年、Mobb Deep 、Commom、そして3枚目をDJ Premierとコラボアルバムをリリースすると発表。Commomは2011年のインタビューでこのプロジェクトについて「いつか、何らかの形でやるよ。もう話し合いはしてあって、Nas.comって呼ぼうってアイデアもある。1度、ミックステープにする予定があったんだ。だけど、アルバムを作るべきだって決めた」と述べている。Life Is Goodは2013年グラミー賞でベストラップアルバムにノミネートされであろう。

2013年1月、12枚目のアルバム制作に取り掛かっていると発表し、Def Jamからの最後のアルバムリリースとなる。2014年中には発売予定。2013年10月、DJ PremierはNasとのコラボアルバムは12枚目のアルバムがリリースされた後にリリースすると述べている。2013年10月、Jay-Z、Justin Timberlake(ジャスティン・ティンバーレイク)、Timbaland(ティンバランド)をフィーチャーした噂の楽曲”Sinatra in the Sands”がアルバムに収録されると公表した。

 

オフィシャルホームページ(英語):http://www.nasirjones.com/

 

■ALBUM■

Illmatic(1994)
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It Was Written(1996)
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The Firm : The Album(1997)
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I Am…(1999)
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Nastradamus(1999)
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Stillmatic(2001)
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The Lost Tapes(2002)
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God’s Son(2002)
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Street’s Disciple(2004)
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Hip Hop Is Dead(2006)
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Untitled(2008)
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Distant Relatives(2010)
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Life Is Good(2012)
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