Jay Zが”Big Pimpin”裁判で「サンプルがあるなんて知らなかった」と証言

jay-z-federal-court-2015-billboard-650

〔Tmbaland(ティンバランド)のことを冗談混じりで「奴は自分のビートは俺のラップより良いって言うし、自分は奴のビートより俺のラップの方が良い物だと言ってる。ずっとこんな感じで、俺が勝ち続けるんだ」とJayは言う〕

ヒップホップ界の大物とプロデューサーのTimbaland(ティンバランド)が1999年にヒットしたエジプト人作曲家の曲の使用について弁護をしている。

Jay Z(ジェイジー)によると、1999年のヒット曲”Big Pimpin”の制作に関して大きな誤解があるというのだ。

曲の原型となるサンプルをめぐっての裁判で、水曜日に行われた証言では、相手側の弁護士がなぜJay ZとプロデューサーのTim “Timbaland” Mosley(ティム・ティンバランド・モズレー)は、そのシングル曲をリリースする前にエジプト人作曲家の曲”Khosara Khosara”の使用権を得なかったのかを問いたずねている。

「サンプル曲があるとは思っていなかった」とJay Z(本名Shawn Carter(ショーン・カーター)は言う。

「Timabalandが曲を自分に聞かせたんだ。それにサンプルがあったなんて思ってもいなかったよ」と続け、Timbalandはサンプリングをほとんど使用しないことも強調していた。

ラップ界の大物が裁判2日目の午後、ロサンゼルスにある裁判所で証言をした。この裁判は”Khosara”の作曲者Balingh Hamdiの甥であるOsama Fahmyが8年前に訴訟を起こしており、現在国内で行われている裁判で最も長い(そして最も複雑な)裁判と言われている。

Fahmyは”Khosara Khosara”を無断で使用し、Rolling Stoneがグレイテスト・ソング500として評価したこの曲をJay ZとTimbalandが作り、配給し続けていると訴えている。この裁判は稀な主張も含まれており、作者の「道徳的な権利」をエジプトの法律に基づいてきちんとライセンスの翻訳がされているのか、アラビアのレコード会社に二次ライセンスがあるのかどうかも問われている。

証言でJay Zは、Timbalandを訪れた時にどのようにしてこの曲が形となっていったのかについて説明をしている。(彼らの関係について笑いながらこう冗談を言っている「 奴は自分のビートは俺のラップより良いって言うし、自分は奴のビートより俺のラップの方が良い物だと言ってる。そして俺が勝ち続けるんだ」)

Timbalandのビートを聞いた時、「まぁいいかな」と思ったと言う。そして上着を着て出て行こうとした。その時、プロデューサーのTimbalandは”Khosara Khosara”をフィーチャーした曲をかけたのだ。彼はすぐにコートを置いて、ざっくりと”Big Pimpin”をつくったと語った。

Fahmyの弁護士であるPeter Ross(ピーター・ロス)になぜ”Khosara Khosara”の使用権を確認しなかったのかと問われ、「それは自分がやることではない。自分は音楽を作るのが仕事だ」と彼は答えた。

Jay Zの弁護士Andrew Bart(アンドリュー・バート)はさらに詳しく説明を求めた。

「自分は音楽を作るのが仕事だ。自分はラッパーであり、服飾関係の仕事もしていて、Roc Nationというメディア会社を経営しており、スポーツ代理店や音楽出版業、マネジメントもしている。それからレストランにナイトクラブ…そんなとこかな。」とJay Zは述べた。

「そうだったかな。あなたは音楽のストリーミングサービス(Tidal)をしていますよね?」とBart氏は尋ねた。

「あぁ、そうだったね。忘れてたよ。」と軽く答えるJay Z。

Ross氏から、2007年に訴訟を起こされた後も、なぜその曲をグレーテストヒットコレクションとして売り続けているのかという問いをされると、声を曇らせこう答えた。

「たくさんのことが起こったんだよ。著作権問題が起こって、それが解決されて、権利が認められた。」と答え、あたかも音楽出版会社のEMIがHamdiの相続人と個人取引のあるエジプトの会社と取引があったかのようであった。「自分は、ライセンスがあるもんだと思っていたよ」

個人的にサンプル使用の手続きをすることはほとんどないと彼は続け、2001年のヒット曲”Takeover”ではThe Doorsの曲を使用するのに自ら許可をもらったことを明かしている。

「サンプル許可の手続きを仕事としている人はたくさんいる。」と彼は続けた。「それは自分の仕事ではない。」

水曜日のTimbalandの証言では、彼はサンプルについてもっと詳しく語った。彼は「ライセンスフリー」音楽のCDで”Khosara Khosara”を見つけたと述べたが、Fahmyの弁護士Keith Wesley(キース・ウェスリー)は曲名やそのCDの名前ではなく、CD自体がライセンスフリーだったのではなかったのかと指摘している。

彼は自身とJay Zが2001年にEMI Arabiaと結んだ契約について詳しく述べた。それはMiddle Easternのレコード会社であるSout El Phanに著作権の使用を請求したものだった。「EMIが自分の弁護士に連絡してきて、それから自分に「レッドフラッグ(問題あり)だ」と連絡がきた」と述べた。

Wesley氏がEMI Arabiaに曲の使用許可を出す権利があるのかどうか別に調べたのかと迫ると、彼は弁護士(Timbalandはlegalという言葉を使用)が言う通りに従ったと述べた。

「弁護士がこう言ったんだ、10万ドル(1200万円)払えばそれでいいと」と彼は述べた。

原告はEMIに著作権使用の許可を与える資格はないと主張。公判前手続きでは、EMI Arabia自身がライセンスを受けることはできるが、他会社などに楽曲の著作権の使用を認める「二次ライセンス」の権利はなく、それに加えそのライセンスは元の楽曲編集したり再利用するのを認めるといったエジプトの「道徳的権利」は含まれていないと主張している。

TimbalandとJay Zの弁護士はもちろんEMIは2001年に正式に権利を与えたと主張している。

「契約書に偽りがあると思いながら、EMIに10万ドル(1200万円)もあなただったら払いますか?」とTimbalandの弁護士Christine Lepare(クリスティン・レペラ)は尋ねる。

「いいえ」と彼は言う。「自分はフリーでクリアーだと思っていた」

このプロデューサーの証言ではコンサートみたいなことも行われた。(今年初めにRobin Thicke(ロビン・シック)が自身の著作権裁判でしたようなこと)

”Khosara Khosara”と”Big Pimpin”の相対的な非重要性を証明する中で、Timbalandの弁護士はプロデューサーが裁判中にビートをつくれるようにキーボードを持ち出したが、キーボードの技術上の問題が発生して出来なくなってしまった。

では裁判員達は代わりに何を聞いたのか?Timbalandの「ビートボクシング」声だけでヒップホップのビートを再現したのである。サンプルではなく、ビートを作り出す上での重要性を説明するためにしたことのようだ。

▼Jay Zプロフィール▼
http://illegal-assembly-of-music.com/jay-z/

▼Jay Z情報一覧▼
http://illegal-assembly-of-music.com/category/artist-info/jay-z/

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

R&B

ページ上部へ戻る