SNOOP DOGG

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Snoop Dogg(スヌープ・ドッグ)
本名:Calvin Cordozar Broadus, Jr.
生年月日:1971年8月20日(42歳)
シンガーソングライターで、役者でもあるアメリカ人ラッパー。今までに世界中でアルバム3,000万枚以上売り上げている。音楽暦は1992年にスタートした。当時、Dr. Dre(ドクター・ドレー)より発掘され、Dre(ドレー)のソローデビューとなった「The Chronic(1992)」で共同制作、それは、テーマーソングとして映画「Deep Cover(ディープカバー -潜入捜査-)」でも取り上げられた。
Death Row Records(デス・ロウ)の契約の下、1993年にリリースされたデビューアルバム、『Doggystyle』は、ビルボード200とBillboard Hot R&B/Hip-Hop Songsチャートで見事1位に輝き、最初の週で100万枚の売り上げ、1994年にはプラチナに認定された。その後も「What’s My Name」や「Gin & Juice」などのヒットシングルを生み出し、1994年にはDeath Row Records(デス・ロウ)から、彼自身が主演を果たした「Murder was The Case」のサウンドトラックをリリース。2作目になる『The Doggfather(1996)』と同時にシングルとして出している「Snoop’s Upside Ya Head」は共にチャート1位に輝いた。アルバムは1997年にダブルプラチナに認定された。
Death Row(デス・ロウ)との契約を終えた後、No Limit Records(ノー・リミット・レコード)と契約を交わし、『Da Game Is to Be Sold, Not to Be Told(1998)』、『No Limit Top Dogg(1999)』、『The Last Meal(2000)』をリリースした。2002年にはPriority/Capitol/EMI/Recordsと契約、『Paid the Cost to Be da Boss』をリリースし、2004年にGeffen Records(ゲフィン・レコード)と契約をし『R&G(Rhytm&Gangsta): The Masterpiece(2004)』、『Tha Blue Carpet Treatment(2006)』、『Malice n Wonderland(2009)』を、その後Priorityから『Doggumentary(2011)』をリリースした。
現在は、主演映画に出たり、「Doggy Fizzle Televizzle」、「Snoop Dogg’s Father Hood」、「Dogg After Dark」などのテレビ番組のホストを務めたりしている。また青年フットボールリーグと高校のフットボールチームのコーチもしている。2009年9月には、Priority Recordsの会長としてEMIに雇用された。
ジャマイカへの旅の後の2012年に、ラスタファリ運動(アフリカをベースとする精神思想運動)へ改宗、Snoop Lionという新しい芸名になり、その名前で、Reincarnatedというレゲエアルバムをリリース、同じタイトルでドキュメンタリー映画を出している。これは2013年始めにジャマイカで経験した内容である。現在彼は、元のラップ芸名Snoop Doggで、最新のソロアルバムリリースに向けて、スタジオ収録中である。

Early Life
カリフォルニアのロングビーチのLos Altos病院で3人息子の2番目として産まれる。義父、Calvin Cordozar Broadus, Sr. の名にちなんで名付けられる。母はBeverly Broadus、父はVernal Varnado、ベトナムの帰還兵で、シンガーでもあり、郵便配達でもあった。家にはほとんどいなかったと言われている。子どもの頃は、両親からSnoopyとニックネームを付けれたが、家ではCalvinと呼んでいた。母親と義父が1975年に離婚。幼い頃から、母親がGolgotha Trinity Baqtist教会で歌を歌い、ピアノも弾いていた。ラップを始めた彼が小学6年生の頃。高校はLong Beach Polytechnicハイスクールに入学。

10代の頃、頻繁に法を犯して問題を起こしていた。Long BeachのイーストサイドでRollin’20 Cripsというギャングの1員であったが、1993年にそこからの決別を断言している。高校卒業後すぐに、コカイン所持で逮捕され、その後3年に渡り、刑務所の入出を繰り返している。当時、Long Beachの市外局番にちなんで213というグループ名として、いとこのNate Dogg(ネイト・ドッグ)とLil’ ½ Dead、友人のWarren G(ウォーレン・G)と手作りのテープを録音している。ソロとして始めた彼の作品はEn Vogue(アン・ヴォーグ)の「Hold On」を彼独特のフリースタイルにアレンジしてミックステープとして収めた。それを聞いた実力あるプロデューサー、Dr. Dre(ドクター・ドレー)がオーディションを受けるよう誘ったのだ。N.W.Aの元メンバーThe D.O.C.が彼に歌詞の作り方や幹母音を詩、サビ、ソロに分ける方法を教え込んだ。

1992–97: Death Row, Doggystyle and Tha Doggfather
Snoop Doggy Dogg(スヌープ・ドギー・ドッグ)としてレコーディングを始めた当初、彼は注目を集め始めていた。Dr. Dre(ドクター・ドレー)との共同作業、1992年の映画「Deep Cover」のテーマ曲を最初に出した。それからDr. Dre(ドクター・ドレー)のソロデビューアルバム「The Chronic」はTha Dogg Pound(ザ・ドッグ・パウンド)というグループでスタートした元メンバー達と一緒に製作した。彼自身の大成功を収めたデビュー作『Doggystyle』は強烈な公表によるものも大きかった。『Who Am I (What’s My Name)?』と『Gin and Juice』はアメリカでもっともよく流れているソングとしてトップ10入りを果たし、ビルボードチャートで数ヶ月もの間とどまっていた。
Dr. Dre(ドクター・ドレー)が1996年始めに契約上の論争でDeath Row(デス・ロウ)を離れたため、彼の2作目となる『The Doggfather』はDaz Dillinger(ダズ・ディリンジャー)とDJ Pooh(プー)と共同制作した。このアルバムは『Doggystyle』に比べてスタイルの変化が明瞭に分かった。1曲目のシングル「Snoop’s Upside Ya Head」はGap Bandのリーダー、Charlie Wilson(チャーリー・ウィルソン)との共同を取上げられた。売り上げはかなり良かったものの、前作にはかなわなかった。しかし、この『The Doggfather』は少しばかり穏やかで、G-funk(Gファンク)スタイルに近いものだった。『The Doggfather』リリース後、彼はgangsta(ギャングスタ)を離れ、軽くて幾分穏やかな審美眼に近づいている、とAllmusic(オールミュージック)のStephen Thomas Erlewineが言う。例に出すと、Snoopは1997年、オルタナティブロックミュージックをメインにしたLollapalooza(ロラパルーザ)コンサートへ参加した。彼のグループは「不思議な、それでいて、すこしだけmosh pit(モッシュピット)なダンス」で観客を魅了していたのを、Variety(バラエティ)のTroy J. Augustoが気づいた。Dr. Dre(ドクター・ドレー)がDeath Row Records(デス・ロウ)を離脱してすぐに、彼はこのレコード会社がとても厳しい時間基準の契約下に自分がいることに気づき(Death Rowは特に、Snoopの作品の所有権を長年に渡り持っていた)、Suge Knight(シュグ・ナイト)の楽曲提供に拒否した。1998年のNeil Straussとのインタビューで、所属元(Death Row)には今まで尽くしてきたにもかかわらず、印税を差し止められたことを打ち明けた。

1998–2006: Signing with No Limit, continued success
1998年にMaster P’s No Limit Records(Priority/EMIレコードより配給)と契約し、その年に『Da Game Is to Be Sold, Not to Be Told』をリリースした。他のアルバムには、1999年に『No Limit Top Dogg』(1,503,865枚以上売り上げ)、2000年に『The Last Meal』(100万枚以上の売り上げ)がある。2001年には自伝、「The Doggfather」が出版された。2002年にはPriority/Capitol/EMIレコードから『Paid tha Cost to Be da Boss』をリリースし、130万枚以上の売り上げを果たした。このアルバムから「From tha Chuuuch to da Palace」と「Beautiful」をゲストボーカルとして Pharrel(ファレル・ウィリアムス)を迎え、ヒットシングルを出した。この段階までに彼は、「gangster(ギャングスター)」なイメージを捨て、「pimp(ピンプ)」なイメージを受け入れるようになった。2004年にGeffen Records(ゲフィン・レコード)/Star Trak Entertainmentと契約、『R&G (Rhythm & Gansta): The Masterpiece』をリリース、その中からシングルとして「Drop It Like It’s Hot(フューチャリングPharrel)」リリース、それがヒットし、第1位に踊り出た。続いて、3作目となるシングルリリース「Signs」はJustin Timberlake(ジャスティン・ティンバーレイク)とCharlie Wilson(チャーリー・ウィルソン)を迎え、UKチャートで第2位に入った。これはUKチャートでは今までで最高記録となった。『R&G (Rhythm & Gansta): The Masterpiece』はアメリカ国内だけで、172万4千枚の売り上げとなり、シングルにされたほとんどは、ラジオやテレビで流れていた。Snoopは2004年に213を再結成しWarren G(ウォーレンG)とNate Dogg(ネイト・ドッグ)と一緒にアルバム、『The Hard Way』をリリース。ビルボード200で初登場第4位、Top R&B/Hip-Hop Albumsで堂々の1位を記録した。それにはシングル「Groupie Luv」も含まれる。ラッパー仲間のLil’ Jon(リル・ジョン)とXzibit(イグジビット)、David Banner(デヴィット・バナー)と共に、Korn(コーン)のミュージックビデオ、「Twisted Transistor」に出演している。また彼はIce Cube(アイス・キューブ)のシングル「Go to Church」を含む2006年のアルバム「Laugh Now, Cry Later」に参加、同年、The Dogg Pound(ザ・ドッグ・パウンド)の「Cali Iz Active」からも数曲参加している。Snoop自身の2006年のアルバムは『The Blu Carpet Treatment』はビルボード200で初登場5位、85万枚以上を売り上げた。

2007–12: Ego Trippin’, Malice n Wonderland & Doggumentary
2007年7月、彼は歴史を作る。シングルリリースをする前に、着信メロディーとしてそのシングルをリリースした最初のアーティストになったのだ。「It’s the D.O.G.」である。同じ年に、Hamburgでライブアースコンサートに出演する。また、Bollywood(ボリウッド)のためにインド映画「Singh Is Kinng」の中で初のラップソング(ソングタイトルも映画と同じ「Singh Is Kinng」)を歌うことに挑んだ。その映画にも彼自身の役で出演している。そのテーマソングが入ったアルバムは2008年6月8日にJunglee Music Rcordsからリリースされた。2作目となるスタジオアルバム、『Ego Trippin』は、アメリカで40万枚の売り上げ、オートチューンを使用したファーストシングル「Sexual Eruption」は同時リリース、ビルボード100で最高7位を達成。アルバムはQDT(Quik-Dogg-Teddy)からの製作だった。SnoopはPriority Recordsから会長の座に任命された。10作目となるアルバム『Malice n Wonderland』は2009年12月8日にリリース、そのファーストシングル「Gangsta Luv」はゲストとしてThe-Dream(ザ・ドリーム)を迎え、ビルボートHOT 100で最高35位を達成し、アルバム自体はビルボード200で初登場23位、最初の週で6万1千枚の売り上げで、彼の中では一番低いアルバムチャートとなってしまった。サードシングル「I Wanna Rock」はビルボードHOT 100で41位だった。『Malice n Wonderland』からの4thシングル「Pronto」はSoulja Boy Tell ‘Em(ソウルジャ・ボーイ・テレム)をゲストとして迎える。これは2009年12月1日、iTunesでリリースされ、『More Malice』というアルバム名に変えて再リリースした。
11作目となるスタジオアルバムは、「Doggystyle 2: Tha Doggumentary and Doggumentary Music: 0020』 等、いくつか試験的なタイトルをつけて検討し、最終的には2011年3月に『Doggumentary』でリリースした。

2012-present: Snoop Lion and Reincarnated
2012年2月4日にドキュメンタリー映画と次にリリースするスタジオアルバムも『Reincarnated』であると発表した。(映画公開は2013年3月21日、アルバムは4月23日にリリース。)2012年7月20日、新しいレゲエシングル、「La La La」はSnoop Lionという芸名でリリースした。新しい芸名はジャマイカのラスタファリ運動の指導者によって名付けられたと、彼は語っている。2013年6月17日、プロデューサー Symbolyc Oneは Hip Hop Weekly Magazine(雑誌名)でのインタビューで、「Snoopと一緒に制作しているよ、最新のソロアルバムはSnoop Doggでリリースする予定だ」と話している。2013年10月28日にDJ Drama(DJドラマ)をプロデューサーにミックステープ、『That’s My Work 2』を発表。

オフィシャルホームページ(英語):http://snoopdogg.com/

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