Beyoncé

Beyonce4

Beyoncé (ビヨンセ)

本名:Beyoncé Giselle Knowles-Carter

生年月日:1981年9月4日(33歳)

テキサス州ヒューストン出身の歌手、女優。子供の頃から歌やダンスなどの様々なコンテストに出場し、R&Bガールズグループ、 デスティニーズ・チャイルド(Destiny’s Child)のリードボーカルとして1990年代後半から人気を集めた。グループのマネージャーはビヨンセの父・マシュー・ノウルズ(Mathew Knowles)がマネージャーを務め、世界で最も売れているガールズグループのひとつになった。ビヨンセのデビューアルバム『Dangerously in Love』(2003)後、グループは解散する。同アルバムは1,100万枚を売り上げ、グラミー賞5部門受賞、さらにビルボードホットチャート100で「Crazy in Love」と「Baby Boy」が首位獲得し、世界的ソロアーティストとしての彼女の存在を確立させた。

 

2005年のデスティニーズ・チャイルド解散後、2ndソロアルバム『B’Day』(2006)を発売。ヒットソング「Déjà Vu」、「Irreplaceable」、「Beautiful Liar」が収録されている。さらに女優業にまで挑戦し、「Dreamgirls」(2006)での演技でゴールデングローブ賞にノミネートされた。他にも「The Pink Panther」(2006)や「Obsessed」(2009)に主演。ラッパーのジェイ・Z(Jay-Z)との結婚や、 映画『Cadillac Records』(2008)で演じたエタ・ジェイムズ(Etta James)役は、3rdアルバム『I am… Sasha Fierce』(2008)の制作において影響を与えた。彼女の第二の人格サーシャ・フィアース(Sasha Fierce)を表現したこのアルバムは、年間最優秀レコード賞(「Single Ladies(Pit a Ring on It)」)を含む2010年グラミー賞6部門で受賞を果たした。2010年より音楽活動を休止。『4』(2011)は全体的に落ち着いた雰囲気で 、70年代のファンク、80年代のポップ、90年代のソウルミュージックを盛り込んだアルバムである。

 

自称「現在のフェミニスト」である 。ビヨンセの楽曲は、愛や人間関係、一夫一妻主義、女性の権力拡大などをテーマにしているものが多くみられる。ステージ上でのダイナミックかつ見事に演出されたパフォーマンスで高い評価を受けており、現代の音楽業界におけるベストエンターテイナーのひとりとして認められている。16年間の歌手人生の中で、グラミー賞において17回受賞している。ソロアーティストとしては7,500万枚以上を売り上げており、「最も売れたアーティスト」に名を連ねている。アメリカレコード協会から「’00年代トップ・サティファイド・アーティスト」として認められている。2009年には、ビルボードチャートのトップ・ラジオ・ソング賞、トップ・女性アーティスト賞を受賞し、2011年にはミレニアム賞を受賞。2014年ににおける総収入は黒人ミュージシャン史上最高額であった 。2013・2014年、タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。

 

Early life
テキサス州ヒューストンのゼロックス社で営業マネージャーをしていたマシューと、美容師兼サロンオーナーであるセレスティン・アン・ティナ・ビヨンセ(Celestine Ann “Tina” Beyincé)のもとに産まれた。ビヨンセという名前は母親の旧姓をとったものである。妹のソランジ(Solange)もまた歌手として活動している。マシューはアフリカ系アメリカ人で、母親はルイジアナ・クレオール人(アフリカ、ネイティブ・アメリカ、フランス、1/16アイルランドの血を引く)の子孫である。

 

テキサス州フレデリックスバーグの聖マリー小学校に通い、ダンスを学ぶ。ダンス講師のDarlette Johnonが鼻歌を歌っていたとき、そこにビヨンセが高音で合わせてきたのがきっかけで才能が見出された。7歳のときに学校のタレントショーでジョン・レノン(John Lennon)の「Imagine」を披露し、15、16歳の生徒たちを抑えて優勝。その後も音楽とパフォーマンスへの関心は続いた。1990年秋、ヒューストンにある音楽学校Parker小学校へ入学し、聖歌隊に参加する。Performing and Visual Art学校に進んだのち、Alief Elsik高校へ入学。また、ユナイテッド・メソジスト協会の聖歌隊で2 年間ソロリストを務めた。

 

8歳のときオールガールエンターテインメントのオーディションに幼なじみのケリー・ローランド(Kelly Rowland)と共に出場し、ラターヴィア(LaTavia)と出会う。他の3人の女の子とGirl’s Tymeというグループを結成させられ、ヒューストンのタレントショーでラップとダンスを披露した。グループのパフォーマンスを観たR&BプロデューサーArne Frageは、自分のノーザン・カリフォルニアスタジオにグループを迎え入れ、当時最も大きな国民的タレントショー番組「Star Search」に出場させた。グループが入賞することはなく、ビヨンセ はこのときのことについて、選曲があまりよくなったと言っている。1995年、父親がグループのマネジメントに専念するために仕事を辞め、このことにより家庭の収入が半減し、両親は別々に暮らさざるを得なくなった。グループはマシューの指示で4人に減り、他のR&Bガールグループの前座として活動を続けた。オーディションを経てついにElektra Recordsとの契約が決まり、1stアルバム制作のためしばらくAtlanta Recordsで仕事をするが、結局契約を打ち切られてしまう。家族への負担は大きくなり、両親は離婚することになった。1995年10月、ドウェイン・ウィギンズ(Dwayne Wiggins)のグラス・ルーツ・エンターテインメント(Grass Roots Entertainment)と契約を結ぶ。1996年、ソニー・ミュージック(Sony Music)との契約のもとデビューアルバムの制作を始め、家族は元通りになり、その後すぐにコロンビア・レコード(Columbia Records)との契約が決まった。

 

 

Career

1997–2001: Destiny’s Child
1996年、聖書『イザヤ書』を参考にグループ名をDestiny’s Childに改名。1997年、デビューシングル「Killing Time」をリリースし、映画『Men in Black』のサウンドトラックとして起用された。翌年デビューアルバムをリリースし、収録曲「No, No, No」は グループ初のメジャーヒット曲となった。アルバムは順調に売上をのばし、ソウル・トレイン・レディ・オブ・ソウル・アワードにて「最優秀R&B/ソウルアルバム」、「最優秀 R&B/ソウルorラップ新人賞」、さらに「No, No, No」で「最優秀R&B/ソウルシングル 」、計3つの賞を受賞し、音楽業界でのグループの存在を確立させた。1999年、マルチ・プラチナム2ndアルバム『The Writing’s on the Wall』をリリース。このアルバムには「Bills, Bills, Bills」、「Jumpin’ Jumpin’」、そして当時最も売れ、現在でも人気のある曲のひとつである「Say My Name」が収録されている。「Say My Name」は、第43回グラミー賞で最優秀R&Bパフォーマンス・デュオ/グループと最優秀R&B楽曲賞を受賞し、「The Writing’s on the Wall」は世界で800万枚を売り上げた。この時期ビヨンセはBoyz II Menのオリジナルメンバー、マーク・ネルソン(Marc Nelson)と共に映画『 The Best Man』のサウンドトラック「After All Is Said and Done」のレコーディングをした。

レトーヤ・ラケット(LeToya Luckett)とロバーソン(Roberson)は、マシューのやり方が気に入らなくなり、最終的にファラ・フランクリン(Farrah Franklin)とミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams)と入れ替わった。ビヨンセは、レトーヤとロバーソンの脱退後、メディアや評論家、ブログなどで批判を受けてうつ病になる。この時期、長年付き合っていた恋人と破局する。うつ病はかなり重く、数年続き、この間ときどき何日間か部屋にひきこもったり、食事を拒んだりしていた。このときのことについてビヨンセは、デスティニーズ・チャイルドがグループ初のグラミー賞を受賞したばかりだったため、誰も真剣に話を聞いてくれないだろうと思いうつ病に関して話すことに抵抗があったと話している。その後母親に相談し、病気を克服するために支えてくれたという。フランクリンは解雇され、グループにはビヨンセ、ローランド、ウイリアムズ だけが残った。

残されたメンバー達は「Independent Women Part I」を収録し、2000年代の映画『Charlie’s Angels』のサウンドトラックとして使用された。この曲はアメリカビルボードホットチャート100で11週連続トップを記録し、グループのベストシングルとなった。2001年初期、グループの3rdアルバム制作をしつつ、MTVのテレビ映画『Carmen: A Hip Hopera』でアメリカ人俳優メキ・ファイファー(Mekhi Phifer)と共演を果たす。

2001年5月に3rdアルバム『Survivor』がリリースされた際、歌詞の内容が自分たちに対する当てつけだとして、ラケットとロバーソンが起訴を起こす。アルバムは発売初週で663,000枚売り上げ、ビルボードチャート200でトップをかざった。アルバムからは他にも「Bootylicious」や「Survivor」といったヒットソングが生まれた。「Survivor」で最優秀R&Bパフォーマンス・デュオ/グループを受賞した。2001年10月、クリスマスアルバム『8 Days of Christmas』リリース後、それぞれのソロ活動に専念するためグループ活動休止を発表する。

 

2002–07: Dangerously in Love, B’Day, and Dreamgirls
ビヨンセは女優としてのキャリアを積み続け、2002年7月、コメディ映画『Austin Powers in Goldmember』でマイク・マイヤーズ(Mike Myers)と共演し、フォクシー・クレオパトラ(Foxxy Cleopatra)を演じた。映画は一週目でUSボックスオフィスにて1位を獲得し、興行収入7,300万ドルを得た。この映画のサウンドトラックアルバムに収録されているファーストシングル「Work It Out」は、イギリス、ノルウェー、ベルギーでトップ10にランクインした。

2003年、ミュージカルコメディ映画『The Fighting Temptations』に キューバ・グッディング・ジュニア(Cuba Gooding, Jr.)と共演。グーディングが恋に落ちるシングルマザー、リリー(Lily)を演じた。映画に対する評論家からの評判は賛否両論だったが、アメリカ国内で興行収入3,000万ドルを得た。ミッシー・エリオット(Missy Elliott)、MCライト(MC Lyte)、フリー(Free)と共にシングル「Fighting Temptation」をリリース。この曲は映画のサウンドトラックアルバムに収録され、映画のプロモーションソングとしても使用された。サウンドトラックに提供したもうひとつの曲「Summertime」はUSチャートで好成績を収めた。

 

自身初のソロ・レコーディングとなったジェイ・Z(Jay-Z)とのシングル「03 Bonnie & Clyde」は2002年10月にリリースされ、ビルボードホットチャート100で4位を記録した。2003年6月24日、ミシェル・ウイリアムとケリー・ローランド がソロ楽曲を発売後、自身にとって1stソロアルバム「Dangerously in Love」をリリース。初登場で317,000枚を売り上げ、ビルボード200でトップを記録。世界売上1,100万枚を記録し、自身の2012年最も売れたアルバムとなった。ジェイ・Zをフューチャーした「Crazy in Love」は、アメリカでのソロ活動における初のトップシングルになった。「Baby Boy」もまた1位を記録し、「Me, Myself and I」と「Naughty Girl」ともに5位を記録した。さらにこのアルバムで第46回グラミー賞の5部門で受賞する。(「Dangerously in Love」最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞、「Crazy in Love」で最優秀R&B楽曲賞、最優秀ラップ・コラボレーション賞、最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞、ルーサー・ヴァンドロス(Luther Vandross)との「The Closer I get You」で最優秀R&Bパフォーマンス・デュオ/グループ、最優秀R&B楽曲賞受賞)。

2003年11月、ヨーロッパで「Dangerously in Love ツアー」を行い、その後北アメリカではミシー・エリオット(Missy Elliott)、アリシア・キーズ(Alicia Key)と共に「Verizon Ladies Firstツアー」を公演。2004年2月、テキサス州ヒューストンのレリアントスタジアムで開催された第38回スーパーボウルにてアメリカ国歌を熱唱した。「Dangerously in Love」のリリース後、手元にある曲でアルバム制作を計画していたが、デスティニーズ・チャイルド最後のアルバムとなる『Destiny Fulfilled』のレコーディングに専念するため計画を取り止めた。

『Destiny Fulfilled』は2004年11月15日にリリースされ、ビルボード200で第2位を記録。アルバムに収録されている「Lose My Breath」、「Soldier」はビルボードホットチャート100でトップ5にランクインした。グループはワールドツアー「Destiny Fulfilled… and Lovin’ It」決行する。ツアー中の2005年6月11日、ヨーロッパの最終公演地だったバルセロナにて、北アメリカをはじめとする残りの公演が終わったら解散するとローランドによって告げられた。2005年10月25日、1st総集編アルバム「Number 1’s」をリリース。2006年3月にはハリウッド・ウォーク・オブ・ファイムの星へグループ名が刻まれることになった。

2006年9月5日、25歳の誕生日に合わせて2ndソロアルバム『B’Day』をアメリカでリリース。初週で541,000枚売り上げ、ビルボードチャート200でトップをかざり、自身2枚目の全米1位獲得アルバムとなった。ジェイ・Zをフューチャーした先行シングル「Déjà Vu」はビルボードチャート100でトップ5にランクイン。2曲目に収録されている「Irreplaceable」は世界中で大ヒットし、オーストラリア、ハンガリー、アイルランド、ニュージーランド、アメリカで1位を記録した。『B’Day』には他に3つの新曲が収録されている。(「Ring the Alarm」、「Get Me Bodied」、「Green Light」(イギリスでのみ発売))

2006年最初の映画出演となった 『The Pink Panther』で、スティーブ・マーティン(Steve Martin) の相手役を演じた。映画の全世界における興行収入は1億5,800万ドルであった。同年2作目の映画は、 1981年のブロードウェイミュージカルのように仕立てた映画『Dreamgirls』で、ザ・スプリームス(The Supremes)がもとになっている。評論家から大絶賛を受け、世界で1億5,400万ドルの利益を出した。この映画でビヨンセはダイアナ・ロス(Diana Ross)を演じ、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudson)、ジェイミー・フォックス(Jamie Foxx)、エディ・マーフィー(Eddie Murphy)と共演した。映画のプロモーションのため、サウンドトラックにアルバムに収録されている「Listen」をリリース。2007年4月、自身初となるワールドツアー「The Beyoncé Experience」を決行し、97カ所のコンサート会場を訪れ、2,400万ドルの利益を出した。ツアー中に寄った6つのメインジャンクションで、牧師と非営利団体Feeding Americaと配給活動を行った。同時期、『B’Day』からシャキーラ(Shakira)とのコラボ曲「Beautiful Liar」を含む5曲をリリースした。

2008–10: Marriage, I Am… Sasha Fierce, and Cadillac Records
2008年4月4日、ジェイ・Zと結婚。 2008年10月22日にマンハッタンソニークラブで開催された視聴会での3rdアルバム『I Am… Shasha Fierce』のビデオモンタージュの中で結婚について公表し、11月18日にアメリカでリリースした。アルバムでビヨンセ は、もう一つの別人格サーシャ・フィアースを表現している。アルバムは2003年の「Crazy in Love」作成中に計画がなされ、初登場で482,000枚を売り上げ、ビルボードチャート200では1位を獲得、自身3枚目の全米1位獲得アルバムとなった。アルバムには1位を獲得したシングル「Single Ladies(Put a Ring on It)やトップ5にランクインした「If I Were a Boy」、「Halo」が収録されている。「Single Ladies」のミュージックビデオは世界中でパロディやものまねされ、2009年MTVヨーローッパ・ミュージック・アワード、2009年MTVスコットランドMOBOアワード、2009年BETアワードを含むいくつかの賞を受賞した。2009年MTVビデオ・ミュージック・アワードでは9つのアワードにノミネートされ、最終的にビデオ・オブ・ザ・イヤーを含む3つの賞を受賞した。

2008年公開の自伝映画『Cadillac Records』で、ブルースシンガーのエタ・ジェイムズ(Etta James)を演じた。演技は高い評価を受け、サテライト賞、助演女優賞を受賞した。さらに全米黒人地位向上協会(NAACP)から最優秀助演女優賞を受賞した。ビヨンセは、映画出演料の全額を、国内にあるヘロイン依存リハビリセンター、Phoenix Houseへ寄付した。2009年1月20日、大統領就任パーティーでジェイムズ(James)の「At Last」を披露。サスペンス映画『Obsessed』でアリ・ラーター(Ali Larter)と イドリス・エルバ(Idris Elba)と共演した。評論家たちからはあまり良い評価を得なかったが、USボックスオフィスでは好成績を残し、(『Cadillac Records』よりも6,800万ドル多い)興行収益6000万ドルを収めた。制作費は2,000万ドルである。

第52回グラミー賞では『I Am… Sasha Fierce』で年間最優秀アルバム賞、「Halo」で年間最優秀レコード賞、「Single Ladies(Put a Ring on It)」で年間最優秀楽曲賞をはじめ、10部門でノミネートされた。これは女性アーティストとしてはローリン・ヒル(Lauryn Hill)に並ぶ最多記録である。2010年、レディー・ガガ(Lady Gaga)のシングル「Telephone」でフューチャーされ、ミュージックビデオにも主演した。アメリカポップソングチャートで1位を獲得し、自身6曲目の全米1位獲得シングルとなった。これにより、1992年に創立されて以来ニールセン・トップ40・エアプレイチャートにおいて全米1位獲得シングル曲の最多記録保持者だったマライア・キャリー( Mariah Carey)と並んだ。「Telephone」はグラミー賞で最優秀ポップコラボレーション賞を受賞した。

2010年1月、「今を生きるために、もう一度いろいろなことからインスパイアされるために」という母の助言により音楽活動休止を発表。活動休止中、父とビジネスパートナーとしての関係に終わりを迎えた。9ヶ月間休暇をとり、その間ヨーロッパの都市、中国の万里の長城、エジプトのプラミッド、オーストラリア、イギリスの音楽祭、さまざまな博物館を訪れたり、バレエを鑑賞したりしたという。

2011–12: 4 and motherhood
2011年、ウィキリークスにより、リビアの指導者ムアンマル・アル=カッザーフィー(Muammar Gaddafi)の家族向けにパフォーマンスを行い、莫大な報酬を受け取っていたエンターテイナーの一人だったということが明らかになった。音楽業界では、パフォーマンスをしたアーティストたちに報酬を社会へ還元するよう訴えているということがローリング・ストーン誌により報告されていた。のちにこのことについて、ビヨンセの代弁者が全額をハイチ震災救援事業に寄付をしたとヒューストンポスト誌で発表している。2011年4月、アメリカ大統領夫人ミシェル・オバマ(Michelle Obama)と全米放送事業者協会教育財団が取り組んでいる、小児肥満を減少させるためのキャンペーンを後援するため、自身のシングル「Get Me Bodied」を再編成し提供した。ウサーマ・ビン・ラーディン(Osama bin Laden)の死後、グリーン・ウッド(Greenwood)の「God Bless the USA」のカバーを慈善団体「New York Police and Fire Widows’ and Children’s Benefit Fund」への寄付を募るためリリースした。

 

2011年、6月28日、アメリカで4thアルバム『4』をリリース。発売初週で310,000枚を売り上げ、ビルボードチャート200で初週1位を獲得。自身4枚目の全米1位獲得アルバムとなった。2曲の先行シングル「Run the World(Girls)」と「Best Thin I Never Had」の売れ行きはまずまずだったが、4thシングル「Love on Top」はアメリカで大ヒットした。『4』には他にも4つのシングル(「Party」、「Countdown」、「Care」、「End of Time」)が収録されている。2010年の休暇について執筆したカバーストーリー『Eat, Pray, Love』が2011年7月のエッセンス誌に掲載され、New York Association of Black Journalistsから表彰された。また、ニューヨークのローズランド・ボールルームで4日間のスペシャルライブを行った。

2011年MTVビデオ・ミュージック・アワードにて、「Love On Top」のパフォーマンスの最後でマイクを床に投げてブレザーを脱上げお腹を見せ、ジェイ・Z との第一子を妊娠していることを公表した。ビヨンセの出演により、MTVは番組史上最高視聴率を記録した。第54回グラミー賞にて「Party」で最優秀ラップ・コラボレーション賞、「I Am… World Tour」で最優秀ミュージック・ビデオ(長編)にノミネートされた。2012年、厳重警備のもと、ニューヨークのレノックスヒル病院で娘のブルー・アイヴィ・カーター(Blue Ivy Carter)を出産した。

5ヶ月後、レベル・アトランティックシティのオーベーションホールにてリゾートオープンを祝う4日間のコンサートを開催。出産後初のパフォーマンスである。12月、多くのセレブと共に「Demand A Plan(デマンド・ア・プラン)」のコマーシャルビデオを制作した。このビデオはサンディフック小学校銃乱射事件を受けて企画された。

 

2013–present: Beyoncé
2013年1月、Destiny’s Childからコンピレーションアルバム『Love Songs』がリリースされた。アルバムには新曲「Nuclear」が収録されている。ワシントンで行われたオバマ大統領2度目の就任式で、すでに録音されているものに合わせてアメリカ国歌を披露した。翌月、ニューヨークのメルセデス・ベンツ・スーパードームで開催された第47回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演。このショーは、同年のエミー賞で最優秀アウトスタンディング・ライト・デザインに選ばれた。このパフォーマンス中、1分間に268,000回ツイートがされるという、史上2番目に多いツイート数を記録した。第55回グラミー賞では「Love on Top」で最優秀トラディショナルR&Bパフォーマンスを受賞。2013年2月16日、長編のドキュメンタリー映画『Life is But a Dream』をHOBで放映した。この映画は彼女の幼少時代、母親やビジネスオーマンとしての姿、レコーディング風景やコンサートのリハーサル風景、ブルー・アイヴィ出産後の活動復帰までが映されている。2013年11月、DVDがリリースされた。2013年2月には大手音楽出版会社Warner/Chappell Musicと契約を結んだ。

4月、ジェイ・Zとの結婚5周年を祝いキューバを訪れた。この旅行は、米国の対キューバ禁輸措置に違反しているのではないかとされ、米共和党議員3名から綿密な検査の要請があった。ひとりの共和党議員はこのことについて、「そうか、ビヨンセとジェイ・Zはキューバにいるのか。私はかまわないよ。アメリカ国民はみんなキューバへ旅行をする権利があるべきだからね」と語っていた。旅行はのちに「文化交流」ということで許可がおりた。4月15日、セルビア・ベルグラードにて、132公演に及ぶワールドツアー「The Mrs. Carter Show World Tour」を開始し、2014年3月まで続いた。このツアーは自身のキャリアの中でも最も成功を収めたツアーとなった。5月、André3000とともにエイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)の「Back to Black」のカバー曲をリリース。この曲は映画『The Great Gatsby』のサウンドトラックとして起用されている。ビヨンセはさらに、2013年度Met Galaの名誉会長を務めていた。5月24日に公開された3Dコンピューターアニメーション映画『Epic』ではQueen Taraの吹き替えを担当。また、映画のオリジナルソングである「Rise Up」制作のため、シーア(Sia)と共同作詞をし、レコーディングをした。

ケリー・ローランド の4thアルバム『Talk a Good Game』にてミシェル・ウィリアムズ とともに「You Changed」に出演。また、The Dreamの4thアルバム『IV Play』の「Turnt」で2Chainzと共演。さらに夫ジェイ・Zの12thのアルバム『Magna Carta… Holy Grail』の「Part II(On the Run)」、「Tom Ford」、「BBC」に出演した。このアルバムの中でビヨンセの名前は「Third Ward Trill」と表記されている。

2013年12月13日、予告宣伝なしに突然5thアルバムをiTunes Storeでリリースした。すべてのトラックにミュージックビデオが収録されているため、「ビジュアルアルバム」と形容された。ビルボードチャート200で初登場1位を獲得、自身5枚目の全米1位獲得アルバムとなった。5作連続で初登場1位を獲得した女性歌手はビルボード史上でビヨンセが初である。 6日間の間に全世界で100万ダウンロードされ、商業的成功を収めた。ニューヨークタイムズ誌では斬新で予想外な素晴らしいリリース方法だったと 報道した。ジェイ・Zをフューチャーした「Drunk in Love」は、ビルボードホットチャート100で2位を記録。2014 年4月、ビヨンセとジェイ・Zは夫婦初の共同ツアー「On the Run Tour」を公表。 2014年度BETアワードでは、最優秀女性R&B/ポップ歌手、最優秀コラボレーション(ジェイ・Zとの「Drunk in Love」)、ファンデモニウム賞を受賞し、BETアワード史上最多受賞アーティストとなった。

 

Personal life

Family
父マシューは女優アレクサンドラ・ライト(Alexsandra Wright)と18ヶ月にわたり不倫をし、2010年2月には息子ニクソン(Nixon)が生まれた。2011年11月、両親は離婚をして31年の結婚生活に幕を閉じた。その後すぐビヨンセはビジネスパートナーとしての父親との関係を終わらせている。ビヨンセとジェイ・Zが初めて交際したのはジェイ・Zの7thアルバム『The Blueprint2: The Gift & The Curse』に収録されている「03 Bonnie & Clyde」でのコラボの後と言われている。この曲のミュージックビデオで、彼女役として出演していたことが彼らの関係についての憶測をさらに深めた。2008年4月、ビヨンセとジェイ・Zは公表する事なく結婚する。2014年4月までに、ふたり合わせて3億枚を売り上げている。二人は、最近ではよりリラックスしているように見えるが、自分たちの結婚生活についてはあまり公にはださないことで知られている。2010〜2011年くらいに流産を経験し、今までの人生で「最も悲しい事」だったと話している。ビヨンセはその後、この悲しみをぬぐうためにスタジオに戻り曲を書いた。2011年4月、ジェイ・Zと共にアルバム撮影のためパリへとび、妊娠する。

8月、夫婦でMTVビデオミュージックアワーズに出演。ビヨンセは「今夜はみんなに立ち上がってほしいの。私の中で育まれている愛を感じてほしいわ」と言って「Love on Top」のパフォーマンスを始めた。パフォーマンスの最後の方でマイクを投げ、ブレザーを上げてお腹を見せ、その日の夜にほのめかしていた妊娠を発表した。この妊娠発表は、ツイッターで1秒間あたり8,868ツイートされ、“ひとつのイベントで1秒間に最もツイートされた”としてギネス記録にのった。また、「Beyonce pregnant」は2011年8月29日の週で最も検索されたワードになった。

2012年1月7日、ニューヨークのレノックスヒル病院にて厳重警備のもとブルー・アイヴィ・カーターを出産。2日後、ジェイ・Zは自身のウェブサイトLifeandtimes.comにて自分たちの子供について歌った「Glory」をリリース。この曲では流産を含む夫婦の葛藤が描かれている。曲の最後にはブルー・アイヴィの泣き声が入っており、実際彼女の名前はB.I.Cとして表記されている。「Glory」がホットR&B/ヒップホップソングチャートにランクインし、このことからアイヴィは生後2日という最年少でビルボードチャートに名前が載ったことになる。

Politics
夫婦ともにアメリカ大統領オバマ夫妻と親交がある。ビヨンセは2009年の大統領就任式で「America the Beautiful」を歌い、2日後にネイバーフッド・ボールで行われた就任式典では「At Last」を披露した。夫婦で2012年度オバマ大統領キャンペーンの資金集めパーティーを主催した。パーティーはジェイ・Zが経営するマンハッタンの40/40クラブで開催され、400万ドルが集まった。

タンブラー(Tumblr)の自身の写真を変え、自身が民主党に投票したことを示し、閲覧者にも民主党へ投票することを促した 。オバマ大統領の就任式で再びパフォーマンスをしたが、今回はすでに録音されているものに合わせて歌った。最高裁で行われたカリフォルニア州のプロポジション8における議会の後日2013年3月26日、同性愛結婚について支持していることを公表。2014年5月における大きな論争について、人気LGBT雑誌『アウト(Out)』の表紙を飾ることが2014年4月7日に発表された。2013年4月に出版されたヴォーグ(Vogue)でのインタビューで、フェミニストかどうかを聞かれた際、両価的な答えを返している。

 

「かなり思い切った言葉になるかもしれないけれど…私は自分を現代のフェミニストだと思ってる。男女平等があるべきだと信じているわ。どうして自分がどんなタイプの女性かを選ばなければならないの?どうして自分自身にレッテルを貼らなければならないの?私はただ女性でいるだけよ、そして女性でいることが大好きだわ・・・男女平等であるべきだと思うし、それを実現するにはまだまだ遠い道のりだと思う。その問題は隅に押しやられて、私たちはそれを受け入れることに慣れてしまっているの・・・けれど私は結婚したことを嬉しく思うわ。自分の夫を愛してる。」

2013年7月、ビヨンセとジェイ・Zはトレイボン・マーティン君(Trayvon Martin))射殺事件の容疑者ジョージ・ジマーマン(George Zimmerman)の釈放に対する抗議活動に参加した。

 

Net worth
フォーブス誌(Forbes)は、2008年におけるビヨンセの所得について報道を始め、2007年6月から2008年6月の間で、音楽・ツアー・映画・ファッションで8,000万ドルを稼ぎ、マドンナ(Madonna)やセリーヌ・ディオン(Celine Dion)を抑えて当時最も稼いでいる音楽業界の人物だと発表した。2009年の「セレブ100人」では4位に、2010年の「最も力のある女性」では9位にランクづけされた。ファッションやコマーシャルによる収入が3,500万ドルあり、翌年にはフォーブス誌の「最も稼いだ30歳未満のセレブ」の8位にランクインした。 2012年、フォーブス誌の「セレブ100人」の16位にランクイン。3年前から12位下がったが、アルバム『4』やファッション、コマーシャルなどで4,000万ドルもの収入があった。

同年、ビヨンセとジェイ・Zは、二人の合計所得が7,800万ドルとなり「世界で最も稼いでいるセレブカップル」で1位にランクインした。2009年、夫婦の所得額が合計1億2,200万ドルだったとして、ギネスブックに「最も稼いだカップル」として登録された。 2009年〜2011年の平均所得は1年あたり7,000万ドル、2012年には4,000万ドル稼いだ。2013年、ペプシコーラとH&Mとのコマーシャル契約により、夫婦は音楽業界初のビリオネアとなった。同年、フォーブス誌の「最もパワフルなセレブ」の4位にランクインした。2013年5月後半におけるインターネットによる収益は推定35,000万ドルである。2014年末には黒人音楽業界史上最も稼いだミュージシャンになるとMTVによって推測されており、2014年4月時点でそれを成功させている。2014年6月、ファーブス誌の「セレブ100人」で1位を獲得(2013年6月〜2014年における所得推定1億1,500万ドル)。同ランキングで1位獲得は自身初であり、また自身にとって最も稼いだ年となった。

Artistry

Voice and songwriting
ビヨンセの音域は3.6オクターブである。ジョディ・ローセン(Jody Rosen)は、彼女の音程と音色について独特で「人気な音楽において最も圧倒的な武器」と表現している。彼女のヴォーカルとしての可能性はデスティニーズ・チャイルドの中心的存在にふさわしいものである。デイリー・メール誌は、ビヨンセの歌声はパワーバラード、ソウルミュージック、ロック、ベルティング、オペラのような華麗さ、そしてヒップホップといったさまざまなジャンルをこなせることから、「万能的」と言っている。

ローゼン(Rosen)はビヨンセの独特なリズムをとるボーカルスタイルについて、ヒップホップ時代に強く影響を与えただけではなく、バラッド作詩法やゴスペル、裏声の出し方において伝統さも兼ねそろえていると話している。 ワシントン・ポストのクリス・リチャード氏(Chris Richards)は、「ささやき声や大声で歌うといった抑揚をつける表現力と、どんなビートにも合わすことのできる才能」

ビヨンセの音楽は一般的にR&Bであるが、ポップやソウル、ファンクなども楽曲に組み入れている。『4』では、90年代のR&Bやソウル、ヒップホップなどのスタイルを今までの楽曲よりも多く取り扱っている。彼女の楽曲のほとんどは英語であるが、『Irreemplazable』(『B’Day』に収録されている曲を再レコーディングしたもの。スペイン語を母国語とする観客のために制作された)では、スペイン語の曲をいくつかレコーディングし、B’Dayも再リリースした。レコーディングにあたり、アメリカンレコードプロデューサーのルディ・ペレズ(Rudy Perez)から音声学的指導を受けた。

デスティニーズ・チャイルドや自身のほとんどのソロ楽曲における共同作詞の功績が認められている。初期の曲は「Independent Women」や『Survivor』のような女性の権利を提示しているものだったが、ジェイ・Zとの交際が始まってからは「Cater 2 U」のような男性に尽くす女性の歌に変化している。また、自身が出演したほとんどの楽曲や、特に自身のソロ楽曲での共同制作の面においても功績が認められている。しかしながらビートを自分で作成するのではなく、たいてい制作中に メロディーやアイディアを思いつき、プロデューサーたちに共有している。

2001年、米国作曲家作詞家出版社協会(American Society of Composers, Authors, and Publishers)主催のポップ・ミュージック・アワーズでポップ・ソングライター・オブ・ザ・イヤー賞を受賞した。この賞を受賞するのはアフリカ系アメリカ人女性としては初めてで、女性ソングライターでは2人目である。1年間で歌詞を手掛けた曲3曲(「Irreplaceable」、「Grillz」、「Check on It」)が首位獲得シングルになったのは、1971年のキャロル・キング、1991年のマライア・キャリーに続く3人目である。これにより自身が手掛けた9曲が首位獲得したことになり、アメリカ人ソングライターのダイアン・ウォーレン(Diane Warren)と並ぶ記録となった。この記録を保持しているのは3人のみである。

 

Influences
自身の音楽性はマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)による影響が大きいと言っている。5歳のときに人生で初めて行ったコンサートがジャクソンのコンサートで、そのときに自分の目標が決まったという。2006年に開催されたワールド・ミュージック・アワードでは賞のプレゼンターを務め、「マイケル・ジャクソンがいなかったら、私は決してパフォーマーにはなっていなかったでしょう」と話した。ダイアナ・ロス(Diana Ross)について「多才なエンターテイナー」と称賛しており、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)のことも称賛している。マライア・キャリーの歌い方や彼女の歌「Vision of Love」は、子供の頃にヴォーカルのラン(即興でボーカルラインを走らせること)の練習を始める上で影響を与えたと語っている。他に影響を受けたアーティストはプリンス(Prince)、ローリン・ヒル(Lauryn Hill)、シャーデー(Sade)、ドナ・サマー(donner )、メアリー・J.ブライジ(Mary J. Blige)、ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)、アニータ・ベイカー(Anita Baker)、レイチェル・ファレル(Rachelle Ferrell)がいる。

2ndソロアルバム『B’Day』での女性を勇気づけるというコンセプトにしたのは『Dreamgirls』に出演したことがきっかけだったという。2006年のファッション・ロックス・コンサートで「Déjà Vu」を歌った際、ベイカーのトレードマークであるミニフラスカートを着て敬意を示した。3rdアルバム『I Am… Sasha Fierce 』は、ジェイ・Zと特にEtta Jamesから影響されたという。特にEttaの大胆さは他の音楽ジャンルやスタイルを盛り込むきっかけとなった。4thソロアルバム『4』は1990年代のR&B(アース・ウインド・アンド・ファイアー(Earth, Wind & Fire)、デバージ(DeBarge)、ライオネル・リッチー(Lionel Richie)、ティーナ・マリー(Teena Marie))に感化され、他にもジャクソン5(The Jackson 5)やニュー・エディション(New Edition)、アデル(Adele)、フローレンス・アンド・ザ・マシーン(Florence and the Machine)、プリンス(Prince)の影響を受けた。

個人的にアメリカ大統領夫人ミシェル・オバマを尊敬しており、「彼女は、(人は)なんでもできるということを証明してくれるわ」と話し、オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)については「インスピレーションそのもの。強い女性」と話している。ジェイ・Zについても、自身にインスピレーションを与える人物としている。

 

Stage and alter ego
2006年、ツアーのために結成された女性バンド「シュガ・ママ(Suga Mama)」(『B’day』の収録曲の題名でもある)を紹介した。バンドは、ベース、ドラム、ギター、ホルン、キーボード、打楽器で構成されている。バックヴォーカルの「ザ・ママス(The Mamas)」にはモニータ・クーパー・ダニエル(Montina Cooper-Donnell)、クリスタル・コリンズ(Crystal Collins)、ティファニー・モニーク・リディック(Tiffany Moniqué Riddick)が参加している。

ビヨンセはライブパフォーマンス中のステージでのふるまいや歌声において高く評価されている。ニューヨーク・ポスト誌のジャレット(Jarett)は「5ベストシンガー/ダンサー」の1位にビヨンセを選んでいる。ガーディアン誌のバーバラ・エレン(Barbara Ellen)は、ビヨンセは最も掌握している女性アーティストとし、インディペンデント誌のアリス・ジョーンス(Alice Jones)は彼女について「エンターテイナーとして本当に良すぎる」と書いている。Def Jamレコードの前社長、L.A.リード(L.A. Reid)はビヨンセについて最も素晴らしい現存しているエンターテイナーとしている。デイリー・ニュース誌のジム・ファーバー(Jim Farber)とスター・フェニックス誌のステファニー・クラッセン(Stephanie Classen)は、ビヨンセの力強い歌声とステージでの振る舞いを称賛している。

ステージ上でのパフォーマンスが「セクシーで、魅力的で、刺激的」と言われる中、ビヨンセはこのことについて第二の人格「サーシャ・フィアース」が パフォーマンスをしていて、その性格は本来の自分とはかけ離れていると話している。サーシャについて「すごく攻撃的で、すごく強くて、すごく生意気で、すごくセクシー」とし、「現実の私とはまったく違うの」と話している。

Public image
ステージの外で、とてもセクシーなステージドレスを着るのは「ステージ上だけ」と話している 。魅力的な容姿から、2000年代のメディアではビヨンセの代名詞として「ブーティリシャス (Bootylicious:booty(お尻)とdelicious(おいしい)の合成語) 」がしばしば使用された。「ブーティリシャス」というタイトルのシングルがデスティニーズ・チャイルドからリリースされて一般的に知られるようになり、2006年にはオクスフォード英語辞典に追加登録された。

2010年9月、トム・フォードの2011年春/夏ファッションショーにてモデルデビューを果たす。2012年にはピープル誌の「最も美しい女性」に選ばれ、コンプレックス誌の「最もホットな女性シンガー」に選ばれた。2013年1月、GQ誌の「21世紀最もセクシーな女性100」の1位に選ばれ、表紙を飾った。VH1の「最もセクシーなアーティスト」で1位に選ばれた 。ニューヨーク、ワシントンD.C.、アムステルダム、バンコク、ハリウッド、シドニーを含む世界の主要都市にあるマダム・タッソー館でビヨンセの蝋人形を見ることができる。

イタリア人ファッションデザイナー、ロベルト・カバリ(Roberto Cavalli)は、ビヨンセはパフォーマンス中、音楽によってファッションスタイルを使い分けていると話している。2002年に出版された母著作の『Destiny’s Style』では、デスティニーズ・チャイルドの成功においてどれだけファッションが大切だったかが書かれている。2006年、毛皮製品を着用や、house of Derénのデザインで毛皮を使用することから、動物保護団体PETAより非難をうける。2011年、フランスのファッション雑誌ロフィシェル誌で、黒い顔にトライバルのメイクアップをして表紙を飾り、メディアからの非難を招いた。

 

Legacy
ニューヨーカー誌の音楽評論家ジョディ・ローゼン(Jody Rosen)は、ビヨンセについて「21世紀における最も重要で注目すべき人気ミュージシャン」だと話している。ガーディアン誌が最優秀アーティストにビヨンセを選んだ際、レウィン・スミス(Llewyn-Smith)は次のように話している。「なぜビヨンセが選ばれたのか?(中略)それは彼女が『Crazy in Love』や『Single Ladies (Put a Ring on It)』などの素晴らしいシングルを10年どころか20年にわたって提供したからである。」 2013年、タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ、バズ・ラーマン(Baz Luhrman)はビヨンセについてこう述べている。「誰もあのような歌声は出せないし、誰も彼女のようにパフォーマンスできないし、誰も彼女のように観衆を引きつけることはできない。ビヨンセがアルバムを出せば、ビヨンセが歌を歌えば、とにかくビヨンセが何をしても、それが一つのイベントになる。そしてそれにはすさまじい影響力がある。現時点彼女はアメリカの歌姫の座にふさわしい。国のトップに君臨する声を持っている」 2014年、再び同誌ランキングに選ばれ、表紙を飾った。

ビヨンセの業績は、アデル、アリアナ・グランデ(Ariana Grande)、ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)、レディ・ガガ、リアーナ(Rihanna)、ケリー・ローランド、クリス・マーティン(Chris Martin)、ファーギー(Fergie)、ニコール・シャージンガー(Nicle Scherzinger)、リタ・オラ(Rita Ora)、ジェシー・J(Jessie J)、アゼアリア・バンクス(Azealia Banks)といった数多くのアーティストへ影響を与えている。アメリカンインディー・ロックバンドのWhite Rabbitsは、3rdアルバム『Milk Famous』(2012)においてインスピレーションを受けた人物として、ビヨンセを引き合いに出している。友人のグウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)は、映画『Country Strong』でミュージカルパフォーマーを演じるにあたり、ビヨンセのライブコンサートを参考にしたという。ニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)はビヨンセのペプシのCMに影響を受け、同社の2012年グローバルキャンペーンに出演することに決めたと話している。

デビューシングル「Crazy in Love」は、VH1の「00’年代最優秀楽曲」や、NMEの「00’年代最優秀トラック」と「最優秀ポップソング」に選ばれた。ローリング・ストーン誌の「オールタイム・グレイテスト・ソング500」にランクインし、グラミー賞においては2つの賞を受賞。800万枚を売り上げており、「最も売れているシングル」のひとつに選ばれている。「Single Ladies (Put a Ring on It)」のミュージックビデオは、そのハイレベルな振付けにおいて評価された。2014年7月、ロックの殿堂にある「レジェンド・オブ・ロック」のセクションに展示されることになった。「Single Ladies 」のミュージックビデオで着用した黒のレオタードやスーパーボウルのハーフタイムでの衣装が展示されている。

Honors and awards
今までに数々の賞と名誉を受賞している。ソロアーティストとしてアメリカでアルバム1,500万枚以上、世界中で1億1,800万枚以上(さらにデスティニーズ・チャイルドの売上が6,000万枚)を売り上げており、「最も売れている音楽家」の一人とされている。アメリカレコード協会から’00年トップ・クラシファイド・アーティストとして認定されている。「Crazy in Love 」、「Single Ladies (Put a Ring on It)」、「Halo」、「Irreplaceable」は世界で最も売れているシングルにランクインしている。2009年、オブザーバー誌の「The Artist of the Decade」に選ばれ、ビルボード誌では「the Top Female Artist」と「Top Radio Songs Artist of the Decade」に選ばれた。2010年、ビルボード誌の「過去25年のトップ50 R&B/ヒップホップアーティスト」で15位にランクイン。2012年VH1の「音楽業界で最も素晴らしい女性100」では3位にランクインした。アメリカン・ミュージック・アワードでは女性初のインターナショナル・アーティスト賞を受賞。2008年ワールド・ミュージック・アワードでレジェンドアワード受賞、2011年ビルボード・ミュージック・アワードでビルボード・ミレニウム賞受賞。

ソロ活動とデスティニーズ・チャイルドでの活動を通して今までにグラミー賞で17回受賞している。これはアリソン・クラウス(Alison Krauss)、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)に次ぐ女性アーティストで3番目に多い記録であり、ノミネート回数は女性アーティストにおいて史上最多である。「Say My Name」と「Crazy in Love」で最優秀R&Bソング受賞を受賞したのち、2010年には「Single Ladies (Put a Ring on It)”」でソング・オブ・ザ・イヤーを受賞した。「Dangerously in Love」、「B’Day 」、「I Am… Sasha Fierce 」はすべて、最優秀 コンテンポラリーR&Bアルバム賞を受賞している。2010年、グラミー賞6部門で受賞し、アリシア・キーズ、ノア・ジョーンズ(Norah Jones)、アリソン・クラウス、エイミー・ワインハウスの記録を破り、女性アーティスト最多記録となった。2012年アデルが同じ記録を立てている。 『Dreamgirls』での「Listen」が最優秀オリジナルソングにノミネートされ、ゴールデングローブ賞主演女優賞、NAACOイメージ・アワードでは主演女優賞にノミネートされた。2006年放送映画評論家協会賞では2つの賞(「Listen」で歌曲賞、サウンドトラック賞)を受賞した。

 

Other ventures

Endorsements
2002年にペプシと契約を結び、2004年に放映されていたCMではグラディエーター役でブリトニー・スピアーズ、ピンク、エンリケ・イグレシアスと共演。2012年、ペプシとの5,000万ドルにのぼるエンドースメント契約を結んだ。この契約について、公益科学センター(CSPINET)から、不健康な製品であるから契約を考え直し、報酬を医療組織に寄付するよう促す書簡が届いた。しかし、ネットベース社によると、ビヨンセのキャンペーン活動は2013年4月に最も話題となり、CMやポスターの宣伝に対して70%のポジティブ評価を得ていたことが明らかにされている。

トミー・ヒルフィガーの香水「True Star」、「True Star Goldをプロデュースし、2007年にはエンポリオ・アルマーニの「Diamonds」のプロデュースも手掛けた。2010年には自身がプロデュースした「Heat」を発表。2011年2月、自身2作目の香水「Heat Rush」を発表した。3作目の香水「Pulse」は2011年9月に発表された。2013年には「Heat The Mrs. Carter Show Limited Edition」を発売。6種類の「Heat」コレクションは4億ドル売上げ、セレブリティがプロデュースした香水の中で最高売上を記録した。

ビデオゲーム『Starpower』開発の起訴について:ビヨンセが契約から手を引いたため、従業員70名を解雇するにまで至り、さらに数百万ポンドの損害が出たとして、ゲートファイブ社から1億ドルの賠償金を迫られた。 2013年6月、ビヨンセの弁護士が、契約の取り消しはゲートファイブ社が金融的銀行を失ったためだと訴え裁判は終わった。ビヨンセは他に、アメリカンエキスプレス、ニンテンドーDS、ロレアルと契約を結んでいる。

 

Fashion lines
2005年、母とコンテンポラリー女性ブランド「ハウス・オブ・デレオン(House of Deréon)」を設立。ブランド名は裁縫士だった祖母、アグネス・デレオン(Agnès Deréon)からきている。ティナによると、ブランドの全体的なデザインは、自身とビヨンセの好みやスタイルが反映されているとのこと。ふたりが設立したBeyond Productionsでは「ハウス・オブ・デレオン」や若者向けブランド「デレオン(Deréon)」におけるデザインやマネジメントをしている。デスティニーズ・チャイルドのツアー「Destiny Fulfilledera」で、「ハウス・オブ・デレオン」の服が何着か披露されている。コレクションにはスポーツウエア、ファー付きのデニム、アウトウエア、ハンドバッグやフットウエアを含むアクセサリーがあり、アメリカやカナダの百貨店や特定の店で入手可能である。

2005年、靴会社House of Brandsと共同で「ハウス・オブ・デレン」のためにさまざまなフットウエアを製産した。2009年7月、母とともに新ブランド、「サーシャ・フィアース・フォー・デレオン(Sasha Fierce for Deréon)」を立ち上げた。コレクションには、スポーツウエア、アウトウエア、ハンドバッグ、フットウエア、ジュエリーがある。

Philanthropy
2005年に発生したハリケーン・カトリーナの後、ローランドと共にサヴァイバー財団を設立。ヒューストン地域にいる被害者たちのためにまず25万ドルを寄付し、一時的な住宅を提供した。財団は市内の他の慈善団体との連携活動の拡大をし、3年後に発生したハリケーンアイクの被災者を救済した。ハイチ地震では、ジョージ・クルーニーやワイクリフ・ジョンと共に「ハイチへの希望:地震被害救済のためのグローバル基金」に参加し、アメリカ・ファッションデザイナー協議団(CFDA)の限定「ハイチのためのファッション」Tシャツの公式の顔に選ばれた。このTシャツは合計100万ドルの捻出に貢献した。2010年3月5日、母・ティナと共にブルックリンにあるドラッグ・アルコールリハビリ施設にビヨンセ美容センターを設立し、男性・女性向けに7ヶ月間の美容トレーニングを提供した。

2012年「世界人道デー(World Humanitarian Day)」キャンペーンのため「I Was Here」とそのUNでミュージックビデオを収録。2013年、女性の権利拡大を目的としたグッチの「チャイム・フォー・チェンジ(Chime for Change)」でサルマ・ハエック(Salma Hayek)とフライダ・ジャニーニ(Fida Ginannini)と共同参加すると発表。ビヨンセは食料寄付キャンペーン「ミス・ア・ミール(Miss a Meal)」や、Charitybuzzのチャリティオークションを通じてグッドウィルチャリティーを支援している。

オフィシャルホームページ(英語):http://www.beyonce.com/

 

■ALBUM■

Dangerously in Love (2003)
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B’Day (2006)
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I Am… Sasha Fierce (2008)
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4 (2011)
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Beyoncé (2013)
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