MARIAH CAREY

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Mariah Carey(マライア・キャリー)
本名:Mariah Angela Carey
生年月日:1970年3月27日(44歳)

ニューヨーク・ロングアイランド出身。言わずと知れたアメリカを代表する歌姫。5オクターブの声を操ることの出来るシンガーソングライター、プロデューサー、女優として活動する傍ら慈善家としても様々な活動を行っている。1990年にリリースしたセルフタイトルデビューアルバムで注目を浴びた。当時のColumbia Records(コロンビア・レコーズ)幹部であり、後に彼女の夫となるTommy Mottola(トミー・モットラ)の指導のもと、その後も『Emotions(1991)』、『Music Box(1993)』、『Merry Christmas(1994)』と好調にヒットを飛ばしていく。1995年にリリースしたアルバム『Daydream』からのセカンドシングルでBoyz II Men(ボーイズ・トゥー・メン)とのデュエット「One Sweet Day」はビルボードホット100で16週連続1位を記録し、アメリカの音楽史上で最も長くチャートナンバーワンを連続で獲得した曲となった。この後にリリースした『Butterfly(1997)』では、それまでのR&B/ポップスタイルからヒップホップへ傾倒しており、この時期には夫であったMottolaとも別離している。

2000年になるとColumbia Recordsを離れ、Virgin Records(ヴァージン・レコーズ)との1,000億円の契約を結ぶ。2001年には初の主演映画『Glitter』が公開されたが、その直前には極度の疲労のため入院を余儀なくされている。しかし、映画の評判が悪かったためにVirginとの契約金は当初の半分の500億円に減額され、これ以降人気にも陰りが見え始める。2002年、Island Records(アイランド・レコーズ)と何百億円にも及ぶ契約を結び、それからも数年低迷期を迎えるが2005年のアルバム『The Emancipation of Mimi』で再びトップアーティストの座に返り咲く。特にセカンドシングルの「We Belong Together」は、自身にとって2000年代最も売れた曲となり、『Billboard』誌によっても2000年代10年間においてのベストソングと呼ばれた。その後再び映画『Precious』に出演。Palm Springs International Film FestivalでBreakthrough Performance Awardを受賞、Black Reel AwardsやNAACP Image Awardなどでのノミネートを受けるほど好評価を得た。

これまでのキャリアにおいて、世界で2億枚以上ものアルバムを売り上げており、史上最も売れたアーティストの1人となっている。1998年にはWorld Music Awardsで1990年代に世界で最も売り上げたアーティストに選出された。アメリカレコード協会によると、アメリカで6,350万枚のアルバムを売り上げアメリカ史上3番目に売れた女性アーティストであるとされている。2008年にリリースしたシングル「Touch My Body」は自身にとって18曲目のチャートナンバーワンを獲得し、ソロアーティストとして最高の記録を更新。2012年にはVH1によって、“音楽界における最も偉大な女性100人”の2位に選出された。これまでに5回のグラミー賞、17回のWorld Music Awards、11のAmerican Music Awards、そして31のBillboard Music Awardsを獲得している。

 

Early Life and Struggles

Mariah Careyhは1970年3月27日にニューヨーク・ロングアイランドで、アフリカン・アメリカンとベネズエラ人の父親とアイルランド系の白人の母親のもとに生まれる。母親もオペラ歌手、またボーカルコーチとして生計を立てていた。母親は黒人と結婚したということで家族から勘当され、また当時まだアメリカでも異人種間の結婚は珍しかったということでMariahの家族は近所や回りから浮いた存在だったという。両親はMariahが3歳の時に離婚した。

両親の別居が決まった後、長女は父親に、Mariahと弟は母親にひきとられた。4歳になる頃には母親の目を盗んでラジオをベッドに持ち込み、流れる曲に合わせて歌ったという。小学校では、音楽や美術、文学といった科目は飛び抜けていい成績だったが、他の科目には全く興味を持たなかった。家族は何年ものあいだ金銭的に困難な状況にあったが、その後ニューヨークのもう少しいい裕福なエリアへと引っ越す。高校に進むとMariahは詩を書き、それに曲をつけるようになる。幼い頃から既に一番高い声区(レジスタ)であるホイッスル・レジスタを出すことが出来ていた彼女だが、ボイスコーチである母親のトレーニングによってマスターし、コントロールできるようになっていく。母親はMariahに子どもの頃からクラシック・オペラのことを教えてきたが、彼女が興味を持っていなかったため無理にそれを押し付けるようなことはなかった。

高校生の時にR&BシンガーのGavin Christopher(ギャビン・クリストファー)と出会ったMariahは、一緒に曲を作るようになる。一緒に作った初めての曲「Here We Go Round Again」が出来た後も、デモアルバムを作るために曲を作り続けた。その後マンハッタンで1LDKの部屋を4人の女子学生とシェアし、ウェイトレスをしながら生活していたMariahは、4曲入りのデモテープを完成させ、いろいろなレコード会社へ渡そうとするも毎回失敗に終わる。その後間もなくポップシンガーのBrenda K. Starr(ブレンダ・K・スター)と出会う。

 

Career

1988–92: Mariah Carey and Emotions

Mariahと仲良くなっていったBrendaは、そのうち彼女の成功を手助けしたいと思うようになり、1998年12月のある夜、レコード会社の幹部が集まるパーティにMariahを連れて行く。そこでColumbia Recordsの幹部だったTommy Mottolaにデモテープを渡す。パーティから帰る途中の車の中でそのデモテープを聴いたMottolaは、最初の2曲を聴いてMariahの声に魅了され、そのままパーティへと引き返すも既に彼女は帰宅した後だった。それから2週間ものあいだ彼女を探したMottolaだったが、最終的にBrendaのマネージメント会社を通してMariahと連絡をとり、それからすぐにメインストリームでの彼女のデビューを視野に入れて動き始めた。MottolaとColumbiaのスタッフは、彼女をWhitney Houston(ホイットニー・ヒューストン)やMadonna(マドンナ)に対抗するような女性ポップスターに仕立て上げたいと考えていた。デビューアルバム『Mariah Carey』が完成した後、会社は約1億円をかけて同作のプロモーションを行った。滑り出しこそ振るわなかったものの、同アルバムは後にビルボード200チャートのトップに躍り出る。第33回グラミー賞でBest New Artistと「Vision of Love」でのBest Female Pop Vocal Performanceの2部門受賞も人気に火をつけ、結局同チャートを11週連続1位で飾った。このアルバムからの最初のシングル3曲はビルボードホット100チャートでナンバーワンを獲得、また4曲目のシングルとなった「Vision of Love」も4週連続1位を記録した。デビューからシングル4曲連続1位はThe Jackson 5(ジャクソン5)以降初の快挙となった。『Mariah Carey』は1991年に1,500万枚を売り上げ、アメリカで同年1番売れたアルバムとなった。

1991年9月にセカンドアルバム『Emotions』をリリース。モータウン・ソウルへのオマージュを捧げたというこの作品は、デビュー作よりももっと大人びたサウンドに仕上がっており、世界で800万枚以上を売り上げたが前作ほどの成功にはならなかった。このアルバムにはプロデューサーのWalter Afanasieff(ウォルター・アファナシェフ)、C+C Music Factory(シー・アンド・シー・ミュージック・ファクトリー)のDavid Cole(デビッド・コール)とRobert Clivillés(ロバート・クライヴィルズ)らが制作に関わった。

その頃、ステージに立つのが怖いなどという理由でコンサートをほとんど行っていなかったMariahに対し、本当はアルバムのように歌えないのではないかなどといった憶測が飛び交った。そのため、彼女とWalter AfanasieffはMTVの『Unplugged』に出演することを決める。1992年3月16日、ニューヨーク・クイーンズにあるKaufman Astoria Studios(カフマン・アストリア・スタジオズ)で『Unplugged』の公開録音を行い、自身の曲に加えThe Jackson 5のカバー「I’ll Be There」などを披露し高い評価を得た。この模様を収めたEPは世界各国でリリースされ、アメリカではトリプルプラチナ、ヨーロッパの各国でもゴールドやプラチナ認定を受けた。

 

1993–96: Music Box, international breakthrough, and Daydream

1993年始めになると、Mariahは3rdアルバム『Music Box』の制作に取り掛かった。『Emotions』がデビューアルバムほどの売り上げを達成できなかったため、Columbiaとのあいだで次のアルバムはもっと広い聴衆にアピールできるようポップ色を濃いものにすることが取り決められた。今回もほとんどの曲をWalter AfanasieffとMariahが共同で制作し、プロデュースを行った。同年8月31日に世界同時発売された本作は、アメリカではビルボード200チャートを1位発進。このアルバムからのセカンドシングル「Hero」は、彼女のキャリアにおいて最も人気かつ影響力のあった曲のひとつとなり、アメリカでは自身8曲目となるチャートナンバーワンを獲得した。また、この曲によってヨーロッパでの人気もますます広がり、イギリスのロックバンドBadfinger(バッドフィンガー)のカバー「Without You」はドイツ、スウェーデン、イギリスで自身初となるチャート1位を獲得した。

『Music Box』は数か国で長期間に及ぶチャート1位を記録し、後に世界で3,200万枚を売り上げ当時最も売れたアルバムのひとつになった。そしてデビューからずっとコンサートの開催を拒み続けていたMariahはついに北米で6公演を行うMusic Box Tourの開催を決める。大成功を収めたツアーの後、1994年にMariahは長いあいだ公の場に出ずに秘密裏にあるプロジェクトを進めた。それが後に『Billboard』誌によって同年末に発売されるクリスマスアルバムであることが発表される。アルバム『Merry Christmas』はその年の11月1日にリリースされ、同時にファーストシングルである「All I Want for Christmas Is You」も発売された。このアルバムは世界で1,500万枚を売り上げ、史上で最も売れたクリスマスアルバムとなった。また「All I Want for Christmas Is You」も絶賛され、『Rolling Stone』は史上最高のロック&ロールクリスマスソングリストの4位に同曲を選出。日本では着メロとダウンロードが210万回以上売れ、史上最も売れた着メロクリスマスソングとして、またアジア人以外が歌うクリスマスソングで最も売れた曲となった。

翌1995年10月には『Music Box』のポップさにダウンビートのR&Bとヒップホップを加えたようなアルバム『Daydream』をリリース。AIDSで亡くなった彼女の姉とアルバム『Emotions』で一緒に仕事をしたDavid Coleにインスパイアされたセカンドシングル「One Sweet Day」は、ビルボードホット100で16週連続1位を獲得。史上最も連続して長く1位をキープした曲となった。『Daydream』は自身にとってアメリカで最も売れたアルバムとなり、『Music Box』に続いて彼女にとって2枚目となるダイアモンド認定を受けた。日本では洋楽アーティストとして過去最高となる220万枚を売り上げた本作は、その後世界で計2,500万枚以上を売り上げ、これまでの自身のアルバムの中で最も評価の高いアルバムのひとつとなっている。その後日本で3公演、ヨーロッパで4公演を行うDaydream World Tourを開催。東京ドームで行われた3公演のチケット15万枚は全て発売開始から3時間以内に売り切れ、記録を更新した。American Music AwardsではFavorite Pop/Rock Female ArtistとFavorite Soul/R&B Female Artistを受賞、また第38回グラミー賞では6部門にノミネートされた。

 

1997–2000: New image and independence, Butterfly, and Rainbow

人気と名声が確立されてきたMariahは、自分の音楽により多くのジャンルの要素を加え始め、次のアルバム『Butterfly』ではSean Combs(ショーン・コムス)、Missy Elliott(ミッシー・エリオット)、Trackmasters(トラックマスターズ)のSamuel Barnes(サミュエル・バーンズ)らWalter Afanasieff以外のプロデューサーたちとも仕事を行うようになる。このアルバムのレコーディング中に夫であったMottolaと別離。リードシングル「Honey」では、元夫からの自由を表すかのようなそれまでにはなかったセクシーなイメージで臨んでいる。

この辺りから2000年にかけてMariahは、映画『Glitter』への出演、『Men In Black』、『How the Grinch Stole Christmas』などといった映画への楽曲提供など結婚中には出来なかった様々なプロジェクトに取り組んでいる。1998年11月には初のベストアルバム『#1’s』をリリース。アニメ映画『The Prince of Egypt』のサントラにも収録されたWhitney Houstonとのデュエット曲「When You Believe」も収められた。このアルバムは特に日本で大ヒット。発売初週に100万枚以上を売り上げた唯一の洋楽アーティストとなっている。世界で計1,700万枚、日本では発売から3か月で350万枚を売り上げ、アジア人以外のアーティストとしては最高記録となっている。

1999年春、元夫のレーベルであったSony(ソニー、Columbiaの親会社)との契約最後となるアルバムの制作に取り掛かる。同年11月にリリースされた『Rainbow』では再びJay Z(ジェイ・ジー)、DJ Clue?(DJクルー?)など新しい制作陣を迎え、ビルボードチャートに2位で登場した。しかし、その後2000年代前半にまで及ぶSonyとの確執により、『Rainbow』の売り上げはそれまでのキャリアにおいて最低のものとなった。

 

2001–04: Glitter, Charmbracelet; personal and professional struggles

BillboardのArtist of the Decade Award(1991~2000年10年間におけるベストアーティスト)とWorld Music AwardでのBest-Selling Female Artist of the Millenniumを受賞した後、MariahはついにColumbia Recordsを離れVirgin Records(EMI)と5枚のアルバム制作の契約を1,000億円で締結した。これまでのアルバムとちがい、Mariahがコンセプトやクリエイティブな面において全てをコントロールする権利を持つというものだった。2001年になると、メディアからのプレッシャー、多忙なスケジュール、そして当時のボーイフレンドであったメキシコ人シンガーのLuis Miguel(ルイス・ミゲル)との別れなどが原因でノイローゼ状態にあったMariahは自身のウェブサイトへ妙な書き込みを始めたり、プロモーション活動中におかしな言動をするようになる。そしてついに同年7月26日、過労と心身喪失で入院2週間の入院後、しばらくのあいだメディアに出てくることはなかった。そのためVirgin Recordsと20th Century Foxは彼女の初の主演映画『Glitter』の公開とサントラの発売を延期。9月21日に公開された映画の評判は散々で、サントラも自身のキャリアにおいて最も低いセールスを更新することとなった。私生活、映画とサントラの大ゴケでVirgin Recordsは当初1,000億円としていた彼女との契約を500億円にまで減額。その後Mariahはイタリアへ渡航し、新しいアルバムの制作に取り掛かりながら5カ月を過ごす。同年後半、Island Recordsとの契約を締結した後自身のレーベルMonarc Entertainment(モナーク・エンターテイメント)を設立した。

2002年にはMira Sorvino(ミラ・ソルヴィーノ)らとともにインディペンデント映画『WiseGirls』に出演。同年12月には9作目となる『Charmbracelet』をリリースした。だが、復帰作にも関わらずセールスは振るわず、Mariahの歌声についても厳しい評価がなされた。低迷するキャリアに追い風を吹かせようと2003年4月にはCharmbracelet World Tourと題したワールドツアーの開催を発表。8か月にわたり世界69公演を行うというこのツアーは、彼女のこれまでのキャリアにおいて最も長い期間に及ぶコンサートツアーとなっている。アメリカ国内ではこれまでよりも小さめの会場で行われたが、アジアとヨーロッパではスタジアムクラスの会場で敢行。プロダクション、ライブパフォーマンスの面においても高い評価を得た。

 

2005–07: Return to prominence with The Emancipation of Mimi

2004年は、10作目となるアルバム『The Emancipation of Mimi』のための曲を作り続け、Jermaine Dupri(ジャーメイン・デュプリ)、Bryan-Michael Cox(ブライアン‐マイケル・コックス)、The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)、そしてKanye West(カニエ・ウエスト)といった制作陣とプロダクションを行った。2005年4月にリリースされた『The Emancipation of Mimi』は数か国のチャートで発売初週に1位を獲得、音楽評論家たちからも良い評価を得た。特にこのアルバムからのセカンドシングル「We Belong Together」は、彼女のキャリアを再定義するものとなる。アメリカ国内でのいくつかの記録を更新、ビルボードホット100における自身16番目となるナンバーワンシングルとなり、このチャートで14週トップに輝いたことで、1996年のBoyz II Menとのコラボ「One Sweet Day」に続いてアメリカ音楽史上2番目に長くチャート1位を記録したシングルとなった。『Billboard』誌はこの曲を2001~2010年の10年間におけるベストソングとし、史上最も人気の曲リストの9位に選出した。2005年9月25日にはビルボードホット100で「We Belong Together」が1位、そして次のシングル「Shake It Off」が2位となり、同チャートの上位2位を独占した初の女性アーティストとなった。『The Emancipation of Mimi』は2006年のグラミー賞で8部門にノミネート、また2006年にウルトラプラチナエディションがリリースされたことで2007年のグラミー賞でも2部門にノミネートされ、Best Contemporary R&B Album、Best Female R&B Vocal PerformanceとBest R&B Songを受賞した。2005年末までに世界で約770万枚を売り上げ、Coldplay(コールドプレイ)の『X&Y』に続いてその年最も売れたアルバム2位となり、現在までに世界で約1,200万枚を売り上げている。

2006年には北米で32公演、アフリカで2公演、日本で6公演を行う世界ツアー『The Adventures of Mimi』を開催し、同ツアーの模様を収めたDVDが2007年に世界発売された。

 

2008–10: E=MC², Memoirs of an Imperfect Angel, and Precious

2007年、11作目のアルバムリリース前に発売されたリードシングル「Touch My Body」もビルボードホット100で1位を獲得。自身にとっての同チャート18曲目のシングルとなり、同時にMariahはアメリカ音楽史上で最も多くナンバーワンを獲得した女性ソロアーティストとなり、またElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)と並んでビルボードチャート史上最も多くの週ナンバーワンを獲得したアーティストとなった。

2007年4月にリリースされた11作目のアルバム『E=MC²』は、発売週に自身のキャリアで最高の463,000枚を売り上げビルボード200で1位を獲得。2008年には『Billboard』誌によってBillboard Hot 100 All-Time Top Artistの6位、及びビルボードホット100チャート史上最も成功した女性アーティストの2位にMariahを選出した。またこの年にはNick Cannon(ニック・キャノン)と結婚している。

2009年には小説を基にした映画『Precious』にソーシャルワーカーの役で出演。この作品はサンダンス映画祭やトロント映画祭で賞を受賞し、2010年1月にはパームスプリングス国際映画祭でその演技が評価されBreakthrough Actress Performance Awardを受賞した。同年9月にはニューアルバム『Memoirs of an Imperfect Angel』をリリース。ビルボード200を3位発進したものの、自身のキャリアにおいては最も低いセールスを記録した。12月からは北米、シンガポール、ブラジルなどを巡るAngel Advocate Tourを開催した。

 

2010–11: Merry Christmas II You

2010年11月には大ヒットした自身のクリスマスアルバム『Merry Christmas』のフォローアップとなる『Merry Christmas II You』をリリース。発売初週に前作を上回る56,000枚を売り上げて(前作は45,000枚)ビルボード200を4位発進した。翌2011年にリリースされたJustin Bieber(ジャスティン・ビーバー)によるクリスマスアルバム『Under the Mistletoe』には、自身の大ヒットクリスマスソング「All I Want for Christmas Is You」のBieberとのデュエットバージョンを収録。また『Merry Christmas II You』に収録されていた「When Christmas Comes」をJohn Legend(ジョン・レジェンド)とのデュエットで再録音しリリースした。

 

2012–present: American Idol and Me. I Am Mariah… The Elusive Chanteuse

2012年8月にはラッパーのRick Ross(リック・ロス)とMeek Mill(ミーク・ミル)をフィーチャーしたシングル「Triumphant (Get ‘Em)」をリリース。また人気番組『American Idol』の審査員の1人としてNicki Minaj(ニッキ・ミナージュ)、Randy Jackson(ランディ・ジャクソン)らとレギュラー出演を開始した。また2013年にはLee Daniels(リー・ダニエルズ)の監督する映画『The Butler』にも出演を果たした。

2013年5月にはシンガーのMiguel(ミゲル)をフィーチャーした次アルバムからのリードシングル「Beautiful」をリリース。2014年2月には「You’re Mine (Eternal)」をリリースした。2014年4月にはUniversal Music Group(ユニバーサル・ミュージック・グループ)がThe Island Def Jam Music Group(アイランド・デフジャム・ミュージック・グループ)の閉鎖、Island RecordsとDef Jam Revordingsはそれぞれ別のレーベルとしてスタートすることが発表され、MariahのIslandからDef Jamへの移籍が決定した。翌5月にDef Jam Recodringsから14作目の『Me. I Am Mariah… The Elusive Chanteuse』がリリースされ、ビルボード200を3位発進している。

 

オフィシャルホームページ(英語):http://www.mariahcarey.com/

 

■ALBUM■

Mariah Carey(1990)
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Emotions(1991)
Mariah Carey -- Emotions(91.9.17)

Music Box(1993)
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Merry Chrisrmas(1994)
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Daydream(1995)
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Butterfly(1997)
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Rainbow(1999)
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Glitter(2001)
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Chambracelet(2002)
Mariah_Carey-Charmbracelet-Frontal

E=MC²(2008)
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Memoirs of an Imperfect Angel(2009)
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Merry Christmas Ⅱ You(2010)
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Me. I Am Mariah… The Elusive Chanteuse(2014)
MARIAH~1

 

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