DIDDY

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Diddy(ディディ)

本名:Sean John Combs(ショーン・ジョン・コムズ)

生年月日:1969年11月4日(45歳)

 

ステージネームのPuff Daddy(パフ・ダデイ)、Diddy(ディディ)、P.Diddy(ピー・ディディ)としても知られるアメリカ人ラッパー、レコード・プロデューサー、俳優、実業家である。コムズはニューヨーク市ハーレムに生まれマウント・ヴァーノンにて育つ。Bad Boy Records(バッド・ボーイ・レコード)を1993年に設立する以前、Uptown Records(アップタウン・レコード)にてタレント・ディレクターとして勤務していた。The Notorious B.I.G.(ノトーリアス・ビー・アイ・ジー)と契約を結び、その他自らが契約したアーティストの成功によって利益を得た。彼自身のデビューアルバム『No Way Out』は1997年にリリースされ、7度プラチナアルバムに輝いた。1999年リリースの2nd アルバム『Forever』、2001年『The Saga Continues…』、2006年『Press Play 』も続けて成功を収めた。2009年、コムズはDiddy-Dirty Money(ディディ・ダーティマネー)の名でユニットを結成、アルバム『Last Train to Paris』を同年リリースしヒットさせた。

コムズはグラミー賞3回、MTVビデオ・ミュージック・アウォードを2回受賞している。MTVのオーディション番組「Making the Band(メイキング・ザ・バンド)」のプロデューサーでもある。音楽関係以外の投機事業ではファッションブランドSean John(ショーン ジョン)、Sean by Sean Combs(ショーン バイ ショーンコムズ)を手がけ、CFDAファッションアウォードを受賞している。また映画会社とレストラン2軒を経営している。2014年フォーブス誌にコムズの純資産は7億ドルであると掲載された。

 

1969-1988 若年期
ショーン・コムズはニューヨーク市ハーレムにある公共住宅で生まれ、マウントヴェーノンで育った。母親、Janice(ジャニス)はモデルや教師助手などをしていた。父Melvin Combs(メルヴィン・コムズ)はニューヨークのドラッグ・ディーラーとして有罪判決を受けたFrank Lucas(フランク・ルーカス)の仲間であったが、33歳のとき、セントラルパーク・ウェストにて車中で座っているところを銃撃され死亡した。コムズがまだ幼い頃の事件だった。

コムズはマウント・セイント・マイケル・アカデミーを1987年に卒業。アカデミーではフットボール部に所属、1986年には地区大会で優勝した。コムズは子供の頃、頭に来るとハフ&パフ(息をはずませてフーフー言う)ことからPuff(パフ)というあだ名が付いたと述べている。Daddyはプレイヤー(遊び人)の意味である。

 

キャリア

1989-1996:初期
1990年経営学を2年学んだハワード大学を退学、コムズはニューヨークにあるUptown Recordsでインターンとして勤務した。Uptownでのタレント・ディレクター職にあった時期にJodeci (ジョデシィ)やMary J Blige(メアリー・ジェイ・ブライジ)のキャリアアップを助けた。大学時代のコムズはパーティをよく主催することで評判で、時には1000人も参加することもあった。1991年、ニューヨーク市立大学シティカレッジの体育館でのバスケットボールのチャリティ試合後、コムズはHeavy D(へヴィ・ディー)と共にエイズ基金集めのパーティを宣伝した。イベントは大盛況、多数の人が殺到することとなり9人が死亡する騒ぎとなった。

Uptownを解雇された後の1993年、コムズは新人だったThe Notorious B.I.G.を連れてArista Records(アリスタ・レコード)との共同出資でBad Boy Recordsを設立する。Notorious B.I.G.とCraig Mack(クレイグ・マック)の両人は、ほどなくアルバムを成功させヒットシングルをリリースした。特にThe Notorious B.I.G.の『Ready to Die』は大成功であった。コムズはBad BoyにCarl Thomas (カール・トーマス)、Faith Evans(フェイス・エヴァンス)、112(ワン・トゥエルヴ)、Total(トータル)、Father MC(ファーザー・エムシー)などのアーティストを迎え次々に契約を結んでいった。コムズのお抱えプロダクションチームのThe Hitmen(ザ・ヒットメン)は、Jodeci、Mary J. Blige、Usher(アッシャー)、Lil’ Kim(リル・キム)、TLC(ティー・エル・シー)、Mariah Carey(マライア・キャリー)、Boyz II Men(ボーイズ・トゥー・メン)、SWV(エス・ダブル・ヴィー)、Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)などを手がけた。Mase(メイス)とThe Lox(ザ・ロックス)のBad Boy加入は設立直後の西海岸拠点のレーベルDeath Rows Records(デス・ロウ・レコード)とライバル扱いされ大きく報じられた。1990年中頃のコムズとThe Notorious BIGは曲中やインタビューで何度もTupac Shakur (トゥーパック・シャクール)とSuge Knight(シュグ・ナイト)のことを批判、馬鹿にしていた。1994-95年、コムズはTLCのアルバム『Crazy Sexy Cool』収録の何曲かをプロデュースし、アルバムはビルボード1990-1999年代最も売れたポップアルバム25位にランクインした。

 

1997–1998: Puff Daddy and No Way Out
1997年、Puff Daddyの名で、コムズはラッパーとしてのデビュー作をリリースする。デビューシングル『Can’t Nobody Hold Me Down』はビルボードHOTチャート100で最高1位を獲得、28週ランクインした。デビューアルバム『No Way Out』は1997年7月1日にBad Boy Recordsよりリリースされた。アルバムのオリジナルタイトルは『Hell up in Harlem』であったが、The Notorious B.I.G.が1997年3月9日に殺された後、何度かの変更を重ねた。アルバムには多くのレーベル・アーティストが参加しており、『No Way Out』は大成功を収めた。特に全米ではビルボード200チャートで初登場1位、初週56万1千枚を売り上げた。アルバムからは5曲のシングルをリリースした。The Notorious B.I.G.へのトリビュートソングである『I’ll Be Missing You』はビルボード100チャートで初登場1位を獲得した初のラップソングとなり、11週連続で1位に輝いた。世界中のあらゆるチャートで1位を獲得した。その他『Can’t Nobody Hold Me Down』『It’s All About the Benjamins』『Been Around the World』『Victory』がシングルとしてリリースされた。コムズは1998年公開映画「Godzilla」サウンドトラックの『Come with Me』にてJimmy Page(ジミー・ペイジ)と共演した。

アルバムによりコムズは1998年第40回グラミー賞5部門にノミネートされ、ベスト・ラップ・アルバム部門賞を獲得した。2000年9月7日アルバムは7千万枚売り上げたとして、アメリカレコード協会よりプラチナアルバムを7度認定された。1997年コムズは賃貸に出している家の管理義務放棄でInge Bangoに訴えられるが、コムズは容疑を否定している。1990年代後半、コムズは新曲にゲスト・アーティストや過去のヒット曲のサンプリングを多用することでヒップホップを軽薄なものにしていると批判された。

 

1999–2000: Clun New York and Forever
1999年4月コムズはInterscope Records(インタースコープ・レコード)のSteve Stoute(スティーヴ・スタウト)の事件において傷害の容疑で逮捕された。Stouteはコムズが以前『Hate Me Now』のビデオ撮影を一緒にしたNas(ナズ)のマネジャーである。コムズは、ビデオの中でNasとコムズが張り付けにされるシーンは神を冒涜していると懸念していた。コムズはビデオを取りやめるように頼んだが4月15日、MTVにてオンエアされてしまう。コムズはStouteのオフィスを訪ね怪我をさせた。コムズは第2級傷害罪と器物損壊罪の判決を受けアンガーマネージメントクラスに出席するよう命じられた。

1999年12月27日、マンハッタンのナイトクラブ、クラブ・ニューヨークで銃撃事件が起きたとき、コムズは当時のガールフレンドであったJennifer Lopez(ジェニファー・ロペス)と一緒に現場にいた。警察の調査の結果、コムズと友人のラッパーShyn(シャイン)は銃刀法違反などで逮捕された。コムズは4つの銃を保持していたほか、運転手のWardel Fenderson(ワーデル・フェンダーソン)に金を渡し拳銃の所有者にさせた容疑がかかった。

報道禁止命令が出る中、大々的に報道された裁判が始まった。コムズの弁護士はJohnnie L. Cochran Jr.(ジョニー・Lコクラン・ジュニア)とBenjamin Brafman(ベンジャミン・ブラフマン)であった。コムズは全ての容疑において無罪となりShyneは8つのうち5つの容疑で有罪となり10年の懲役を言い渡された。コムズとロペスはこの後ほどなくして別れている。銃撃事件後、精神的なダメージを受けたとしてフェンダーソンが訴訟が起こし、2004年2月に和解が成立している。両者の弁護士は和解案の内容を公にしないことで合意し「双方納得できる解決であった」と述べた。

コムズの初のスタジオアルバムである『Forever』はBad Boy Recordsから1999年8月24日、北アメリカでリリースされ、翌日にはイギリスでリリースされた。ビルボード200チャートで2位となった。トップR&B/ヒップホップアルバムチャートではMary J. Bligeの4thアルバム『Mary』にとって変わられるまで1位の座についた。アルバムは批評家から好意的から否定的まで様々な評価を受けた。アルバムからは3曲シングルがリリースされビルボードにチャートインした。カナダのアルバムチャートでは最高4位を獲得し、同国でのコムズの最高獲得順位となった。

 

2001–2004: P. Diddy and The Saga Continues
2001年、コムズはステージネームをPuff DaddyからP. Diddyへと変更した。銃刀法違反の裁判が始まる頃に完成していたゴスペルアルバム『Thank You』を3月にリリース。2001年公開の映画「Made」に薬の密売人役で出演、さらには同年公開映画「Monster’s Ball(モンスターボール)」でHalle Berry(ハル・ベリー)、Billy Bob Thornton(ビリー・ボブ・ソーントン)と共演している。フロリダにて免停中に運転していたとして逮捕された。コムズは、彼にとってはあまり馴染みのないアーティストとも仕事をするようになる。Kelis(ケリス)のマネジャーを短期間つとめ、『Let’s Get Ill』でコラボレーションしている。2002年’N Sync(イン・シンク)のCelebrity Tourにてオープニングアクトをつとめ、カリフォルニア出身のガールズグループDream(ドリーム)とレーベル契約をした。コムズは2001年公開の映画「Training Day(トレーニング・デイ)」サウンドトラックをプロデュースしている。

2001年6月、コムズはBad Boy EntertainmentとArista Recordsとの合併事業契約を解消し、Bad Boyの目録、アーティスト名簿などを本格的に率いるようになる。『The Saga Continues…』は7月10日に北米でリリースされたが、これが共同で出す最後のスタジオアルバムとなった。アルバムは全米ビルボード200チャートとトップR&B/ヒップホップチャートで2位を獲得し、後にプラチナアルバムに認定された。このアルバムはP.Diddy名義の唯一のアルバムでJay-Z(ジェイ・ジー)やLil Kim(リル・キム)によるフィーチャーリングがなかった。コムズはMTVのリアリティショー番組「Making the Band(メイキング・ザ・バンド)」(2002~09年)のプロデューサーとなった。番組は応募者の面接と音楽審査を経てデビューさせるというコンセプトであった。番組からはDa Band(ダ・バンド)、 Danity Kane(ダニティ・ケイン)、 Day26 (デイ26)、Doonie Klang(ダニー・クラング)がデビューを果たしている。

2003年コムズはニューヨークシティマラソンに参加し、ニューヨーク市教育システムのために200万ドルを集めた。2004年3月10日「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演し、4時間18分で完走したマラソンについて語った。2004年大統領選挙では「Vote or Die」のキャンペーンの指揮をとった。2004年2月1日、コムズ(P.Diddy)は第38回スーパーボウルのハーフタイムショーでパフォーマンスを行った。

 

2005–2009: Diddy and Press Play
2005年8月16日、コムズはトゥデイ誌にてステージネームをDiddyに再度変更することにしたと発表した。コムズはファンが自分自身を何と呼べばいいのかわからず混乱を引き起こしていると述べた。2005年ロンドンを拠点にする音楽プロデューサーRichard Dearlove(リチャード・ディアラヴ)は、コムズが自身をP. Diddyと名乗る9年も前の2002年からDiddyと名乗って活動していたとして、ロンドンの高等法院にコムズのステージネーム差し止め命令を求めた。コムズが1万ポンドの損害賠償と10万ポンドの裁判費用を支払うことで示談が成立した。コムズはすでにP. Diddyとして有名であったイギリスでDiddyを使用することは禁じられた。ミシガン出身のTVホスト、ロジャー・ミルズがコムズに対して起こした傷害事件の裁判は2005年にコムズの勝訴で結審した。

コムズは2005年映画「Carlito’s Way: Rise to Power(カリートの道)」に出演した。2004年ブロードウェイで再演され2008年2月テレビ用脚本でオンエアされた「A Raisin in the Sun(ア・レイジン・イン・ザ・サン)」のウォルター・リー・ヤンガー役を演じた。2005年コムズはレコード会社の株式の半分をWarner Music Group(ワーナー・ミュージック・グループ)へ売却した。2005年MTVビデオミュージック・アワードのホストをつとめ、タイム誌の「世界で最も影響のある100人」に選ばれた。Brooks & Dunn(ブルックス&ダン)の『Play Something Country』の中で「P. Diddyを聞きに来たわけじゃない。シティからの流行ものを聞きに来たんじゃない」という歌詞がある。

2006年コムズはMaseを契約解除し、G-Unit(ジー・ユニット)に加入し、50Cent(50セント)がレコーディングしたディス曲『Hip Hop』に参加することを拒否した。曲の歌詞はコムズがThe Notorious B.I.G.の殺害事件の犯人を知っているということほのめかしている内容であった。両者は後にこの不和を解決している。

コムズは4年ぶりの2006年10月17日アルバム『Press Play』をBad Boy Recordsより発表した。アルバムは多くのフィーチャリング・アーティストが参加しており、全米ビルボード200チャートで1位を獲得、17万3009枚以上の売り上げをあげた。シングル『Come to Me』『Last Night』はビルボード100チャートでトップテン入りを果たした。アルバムはMTVの「The Leak」で発売一週間前の2006年10月10日にプレビューされた。『Press Play』は批評家から賛否両論の評価を受けたがアメリカレコード協会よりゴールドディスクの認定を受けた。2007年9月18日、コムズはJay-Z、50Centと組み『Forbes I Get Money Billion Dollar Remix』をリリースした。

2008年3月ロサンゼルス・タイムズ紙はThe Notorious B.I.G.とコムズがTupacを襲った1994年の強盗事件を画策したと報じ、FBIの調書を証拠として掲載した。同紙は後に記事を撤回し、調書は捏造であったと認めた。マネージメント会社社長Jimmy Henchman(ジミー・ヘンチマン)の同僚であったDexter Isaac(デクスター・アイザック)がHenchmanの命令でTupacを襲撃したことを2012年に告白した。

2008年コムズの代理人は、コムズが再度ステージネームを変更するのではという噂を否定した。コムズは2008年8月VH1でスタートする新シリーズ「I Want to Work for Diddy」の製作に取り組んだ。「Making The Band 4」のシーズン終了後コムズはスタジオに戻り次のアルバムの製作に取り組む予定であった。デイリーメール紙のインタビューで「前回のアルバムにはChristina Aguilera(クリスティーナ・アギレラ)が参加してくれた。だが次回作はLeona Lewis(レオナ・ルイス)がすべてだ」と述べている。TVドラマ『CSI:Miami(CSIマイアミ)』シーズン7「Presumed Guilty」「Sink or Swim」の2つのエピソードに弁護士Derek Powell(デレク・パウエル)役で本名にてクレジット出演している。

 

2010–2013: Dirty Money and acting
2010年にコムズはThe Dream Team(ドリーム・チーム)と名づけたラップのスーパーグループを結成した。メンバーはコムズ、Rick Ross(リック・ロス)、DJ Khaled(DJキャレド)、 Fat Joe(ファット・ジョー)、Busta Rhymes(バスタ・ライムズ)、 Red Café(レッド・カフェ) 、 Fabolous(ファボラス)である。コムズは2010年1月ニューヨークのアップライト・シチズンブリッジ・シアターで行われた、コメディアンChris Gethard(クリス・ギャザード)のライブショーに出演した。2010年公開のコメディ映画「Get Him to the Greek(伝説のロックスター再生計画!)」にレコード会社社長セルジオ・ローマ役で出演(クレジット名はSean Combs)した。TVドラマ「An Entourage(アントラージュ★オレたちのハリウッド)」の代理人はコムズが2010年シーズンのエピソードのひとつにゲスト出演するとアナウンスした。

コムズの参加するグループDiddy-Dirty Money(ディディ-ダーティ・マネー )は2010年12月13日にアルバム『Last Train to Paris』をリリースした。 アルバムは『Angels』『Hello Good Morning』『Loving You No More』『Coming Home』の4曲が先行シングルとしてリリースされ、ビルボードHOT100である程度成功した。『Coming Home』は4曲中一番ヒットし全米HOT100チャートで最高12位、全英4位、カナダで7位を獲得した。2011年3月10日Diddy-Dirty Moneyはオーデション番組「American Idol(アメリカン・アイドル)」にて『Coming Home』のパフォーマンスした。

2011年4月18日コムズはTVドラマ「Hawaii Five-0(ハワイ・ファイブオー)」シーズン1にニューヨーク市警察覆面捜査官役で出演した。2012年11月にはホームコメディ「It’s Always Sunny in Philadelphia」シーズン8の1エピソードに出演した。

 

2014-現在
2014年2月16日、コムズはRick Ross、French Montana(フレンチ・モンタナ)フィーチャリングによる『Big Homie』を彼の5thアルバム『MMM』(2014年中にリリース予定)のファーストシングルとして発表した。3月24日にはダウンロード版をリリース、その2日後にミュージックビデオの予告編をお披露目した。ミュージックビデオのフルバージョンは3月31日発表。コムズは以前使用していたステージネームのPuff Daddyをこのアルバムで使用した。2014年パフとGuy Gerber(ガイ・ガーバー)は共作アルバム『11 11』を無料ダウンロード配布すると発表した。

 

ビジネス事業
2002年フォーチュン誌においてコムズは世界の40歳以下のトップ実業家の第12位であるという記事を掲載した。フォーブス誌は2012年5月時点でコムズは4500万ドル稼いでおり、ミュージシャンの中では15位に入ると予測した。2014年の純資産は7億ドルであるとされている。

 

ブランドSean John(ショーン・ジョン)
1998年コムズはファッションブランドSean John(ショーン・ジョン)を始めた。2000年にはCFDAファッションアウォードの「メンズウェア・デザイナー・オブ・ジ・イヤー」にノミネートされ、2004年には受賞した。NGO団体National Labor Committeeが、ホンジュラスにあるブランドの縫製工場のホンジュラスの労働法に違反していると明らかにしたことで物議を醸している。告発の内容は以下の通りである。労働者がボディチェックと強制の妊娠テストを受けさせられている。トイレは施錠され使用は厳しく管理されている。従業員は残業を強要され労働搾取企業並みの賃金が支払われている。National Labor CommitteeのCharles Kernaghan(チャールズ・カーナハン)はニューヨーク・タイムズ紙に「ショーン・パフ・ダディは強い影響力を持っていることは誰の目にも明らかであり、彼は文字通り一晩で労働者を助けることができるんだ」と語っている。コムズは広範な調査を要求、記者に「僕は労働者の味方だ」と述べた。2004年2月14日カーナハンは工場での待遇改善が試みられたと発表した。エアコンの追加設置、浄水器の設置、労働者虐待を行っていた管理者の解雇、労働組合結成許可などが行われた。2006年後半、老舗デパートMacy’sがSean Johnブランドのジャケットを犬の毛(生物学上の名前はタヌキ)を使っていたとして撤去した。コムズはジャケットが犬の毛で作られたことを知らなかったが、指摘を受けるとすぐにジャケットの生産ラインを停止した。

2008年コムズは男性用香水「I Am King」をSean Johnブランドに加えた。香水はBarack Obama(バラク・オバマ)、Muhammad Ali(モハメド・アリ)、Martin Luther King(マーティン・ルーサー・キング)に捧げたものであるとし、広告にはモデルのBar Refaeli(バー・ラファエリ)を起用した。

 

その他の事業
ファッションブランドに加えてコムズは息子の名前にちなんで名づけたJustin’sというレストランを2軒経営していた。ニューヨークの第1号店は2007年9月、アトランタの2号店は2012年6月にいづれも閉店している。バスケットボールチームのDallas Marvellicks(ダラス・マーヴェリックス)のオルタネイト・ジャージーのデザインも手がけている。2007年コムズはCiroc Vodka(シロックウォッカ)利益の50%をシェアするパートナー契約を結んだ。2008年10月21日、Liz Claiborne(リズ・クレボーン)からファッションブランドのEnyce( エニーチェ)を2000万ドルで買収した。コムズは映画製作会社を傘下に持つRevolt TVの株式のほとんどを保有している。Revolt TVは2014年に放送を開始した。

 

私生活
6人の子供の父親である。何度もくっついては離れているガールフレンドのKimberly Porter(キンバリー・ポーター) が1980年代のニュージャック・スイング時代に活躍した歌手兼プロデューサーのAl B Sure(アール・ビー・シュア)との間に出来た息子Quincy(クインシー)(1991年生)と非公式に養子縁組をしている。Quincyは実の父親とは接触がなくコムズの元で育てられている。彼の16歳の誕生日にコムズは有名人が顔を揃えたパーティを催し、その模様はMTV「My Super Sweet 16」で流された。

コムズの最初の子供Justin(ジャスティン)(1993年生)は高校時代の彼女で、デザイナーのMisa Hylton-Brim(ミサ・ヒルトン=ブリム)との間に生まれた。2010年1月16歳の誕生プレゼントとして、コムズは36万ドルのマイバッハをお抱え運転手付きで贈った。Justin もまた「My Super Sweet 16」にてフィーチャーされている。彼はUCLA大学フットボール特待生である。

Kimberly PorterはChristian(クリスチャン)(1998年生)と2人の娘D’Lila Star(ディリラ・スター)、 Jessie James(ジェシー・ジェームズ)(共に2006年12月21日生)の母親でもある。コムズとPorterは2007年関係に終止符を打っている。2007年10月コムズは娘のChance(チャンス)(2006年生)の親権をSarah Chapman(サラ・チャップマン)から獲得している。ChanceはD’Lila 、 Jessie と5ヶ月違いである。

コムズはニュージャージー州アルパインに700万ドルで購入した家を所有している。2003年11月には冬用住居としてマイアミビーチに1450万ドルで購入した。

 

チャリティ事業と名誉
コムズは1995年Daddy’s House Social Programsという機関をハーレムの若者を救う目的で設立した。プログラムは個別指導、生活技能、年一度のサマーキャンプなどである。Jay-Zと一緒にコムズは100万ドルを2005年のハリケーン・カトリーナの犠牲者に寄付、自身のブランド服も寄付した。ニューヨーク市内の学校にパソコンや本を寄付している。

シカゴ市長のRichard M Daley(リチャードMデイリー)はコムズの慈善活動に感謝して2006年10月13日をDiddy Dayと名づけた。2008年コムズはハリウッドのウオーク・オブ・フェイムを授与された。

 

私服スタイル
コムズは自身の私服スタイルを「自分を持っていて、タイムレスで多様だ」と語っている。2007年9月2日、コムズは9回目の年一度のイベント「ホワイト・パーティ」を主催、参加者は全身白の衣装で参加した。このホワイト・パーティは今までサントロペで開催されてきたが、この回はロングアイランド、イースト・ハンプトンにあるコムズの自宅で開かれた。コムズは「このパーティは今まで主催してきたパーティのトップ3に入る。伝説とも言えるパーティになった。伝説となるようなパーティを催すことは簡単じゃない」と語った。

 

■ALBUM■

No Way Out (1997)
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Forever (1999)
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The Saga Continues… (2001)
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We Invented the Remix (2002)
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Press Play (2006)
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Last Train to Paris (2010)
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MMM (2014)
Coming soon….

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